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アラサー、何者でもないということ

夕方16時、スタバでの作業中。
クライアントへの納品や面倒なの予算交渉が終わり、一息つく。

気がつけば左隣には新生児とその父母、右隣には若くて可愛い女子大生二人が座っている。

ふと思う。自分って何者なんだろう。何者でもないのが怖い。
守るべきものや責任はゼロで、鬱状態なのでLINEとinstagramは削除し、友人たちとのコンタクトを絶っている。組織に所属しておらず、自由ではあるものの、孤独とアイデンティティの迷走が心をチクチクと突く。

ある人は鬱は理想と現実へのギャップの苦しみだという。またある人は他人との比較だという。またドーパミンの放出量や運動、中毒などの生活習慣や脳の状態が関係しているという人も言う。自己肯定感の不足だとも言われている。どれも合っていると思う。

だけれども、前提として「何をやりたいかわからなくて悶々としている人」と「夢が決まっているが追い続けるのがしんどい人」は分けてほしいと思う。
また表現者かそうでないか、でも悩みの質はかなり違う気がする。

結論を言えば、自分は「夢が決まっているが追い続けるのがしんどい」「表現者」

夢のことは意識して数年になるが、一向に結果が出ない、というより、目標を置くほど、手が動かなくなった。自分の能力に限界を感じ、深く絶望状態にいる。周りの同じ志の人に比べて、明るく楽しく表現ができないし結果も出してない。

とはいえ、その夢を実現しないと「自分の目指す何者か」になれないんだ。
全て捨てて取り組んでいるこの夢を叶えなかったら、以前よりも粗悪で平凡な人生が待っている。
そんな思い込みと恐怖が、日々自分を苦しめる。

だけど1つ俯瞰して今の自分を見てみることにする。
「鬱」が表現の源になりうるのが、表現の世界。
だから表現者である限り「鬱」は仕事のうちと言えるんじゃないか。
この、SNS嫌いの気持ちを爆発させて表現してやる。

そんなことを願いながら、精神状況の改善のため、禁酒とドーパミン排出マッサージ、新しく始めたクラシックバレエの習い事に励む、30歳9ヶ月。

来月は、自分をもっと褒めて、自分最強感思い出せたらいいな。そこから「何者か」になるジャーニーが始まる(はず)。










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