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アメリカで逆ホームシックになった話 ワシントン大学留学体験記15

留学が終わりかけていた最後の3ヶ月の話

留学に行って逆ホームシックになった。逆ホームシックとは、日本に早く帰りたい、とは逆でアメリカにいたい!というものだった。
ワシントン大学にもっといたい、帰りたくないという思いと日々必死に戦っていた。
もっと長く住んでいたら、もっとアメリカが嫌になって、日本に帰りたい!と思ったかもしれない。しかし、恋愛と一緒で、最初の3ヶ月はハネムーン状態みたいなイメージだろうか。本当に毎日が楽しかった。留学をする前に知り合ったフランス人が、他の国で生活している様子を私に伝えてくれた時、Everyday feels like a holidayと言っていたのを思い出した。どんなに憂鬱な日も、課題がたまっていた日も、体調が悪くなった時も何か新鮮な気持ちで、楽しんでいたように思える。アメリカでの9ヶ月間は思ったよりもあっという間だった。その間は水を得た魚のように伸び伸びと暮らしていた。

しかし、タイムリミットが近づいている、と感じるのはとても辛かった。まず、友達を作ろうという気にもなれず、帰国してからの事を考えるのも憂鬱だった。時間が止まってずっとここに居れればいいのに、と思った。もちろん帰国して家族や友達とも会いたかったけれど、またアメリカに帰って学生生活を送ることができないと思うと、悲しかった。もっとアメリカで生活することが出来ていたのならば、その後、私の英語はもっと伸びていただろうと感じた。


なぜこんなに楽しかったと思えたのだろうか?
振り返ってみると、1ついえることがある。それは
「限られた時間、絶対に充実させてやる!」
という意気込みがあったから。


1年間、という期限があるからこそ、普段より精力的に外に出て人と交流していたし、旅行にもたくさん行った。これがじゃあ4年間だったらどうだろう?おそらく、旅行にも行っていなかったと思うし、毎週必ず新しい人に会うということは無かっただろう。


ここで、私が留学中に学べてよかったな、と思ったことを1つ紹介したい。
それは “You will choose to be happy”の精神である。
幸せになることを考えて生きていったらいいよって
ずっと悲しいまま一生を過ごすか幸せに過ごしたいかは私のlife choice だよ
と教えてくれた人がいた。
私はこれまで、幸せは誰かが運んできてくれるものだと思っていた。
運要素しか無いと思っていた。
だから、自分が幸せじゃないと思ったときに人のせいにしたり、人を羨んだりしてしまっていた。
けれども、自分が何に幸せを感じているのか知り、それを得るために幸せになる努力をした人が幸せになるんだなあと実感した。

例えば、海外で生活してみて、環境が自分を変えてくれると思っていた。
確かに、自由で個性的な人がたくさんいる人々に囲まれて過ごすのはとても居心地が良かった。

でも、生活を突き詰めると「食べる、寝る、過ごす」に終始する。
結局食べないと生きていけない、寝ないと生きていけない。
疲れた時やとくに何もないとき、ただ食べて寝ている日もあった。
そんなとき、え、私ただ食べて寝ているだけじゃん、日本と変わらんじゃんと思ったときもある。

結局、変わらないといけないのは自分自身で、留学はその一助にはなる。
やはり、どこに行っても自分は自分だった。
普段の生活で幸せを感じるには、幸せをキャッチする勇気とセンサーが必要だと思った。

留学が終わる日に近づくにつれて、今まで関わってきた人々と最後の挨拶をすることが増えた。
会う人が多いと、別れもつきものだ。
実際に悲しい別れもたくさん会った。人は出会った分だけ別れがある、と実感した。


人と別れるのが辛くて泣いていたとき、ある考え方に救われた。
哲学的な話にはなるが

「出会った人には出会う理由があって、出会っている。もし、その人との離れ離れになったとしても、それ自体にも何かしらの意味があって、そういう風になっている」

という考え方である。

人と出会いは単なる偶然の重なりかもしれない。しかし、そうやって考えることで素敵な出会いも辛い別れも嫌な出会いも全てひっくるめて、良かったなあと思える気がする。人生でこれからも起こるであろう、変えられないものを受け入れられる力を授けてくれるような気さえする。

留学中1番最後に撮影した写真、タコマ国際空港より


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