最近の色んな衝撃で変わる途中
危篤の父、ドライな姉妹、そして母との些細なケンカ。このノリで何かを変えたい。
父が倒れ、母と妹をうるさいくらい励まして、私の心身には衝撃と緊張が走り続けている。苦しいとかじゃない上にこんなに強いものははじめてだった。
その後一睡挟んで少し落ち着いた余裕によって、自分のことを考えてしまった。
またいつもの、自身へのくだらない不安が始まってしまったということだ。
そこで姉に軽くあしらわれて、姉(ついでに妹)のドライ加減と私のネトネト加減の差に落ち込んだ。
そしてまた2日ほどして、父の会社の車を一度返さなければならないため、会社までの道のりの確認を母と行くことになった。運転は私がした。
そこで久々にケンカをした、というか一般的なケンカははじめてしたかもしれない。
近道と母に言われた道は、ドライバー歴1年そこらの初心者には対向車との接触への恐怖が何度も起こりかなり消耗した。
そこで、この道がいい母とこんな道なぞ二度と御免な私で衝突事故した。
昔の私、今までの私だったら、ちょっとでも家族の不機嫌を感じれば真っ先に私が悪いと萎縮し頭の位置を下げていたところだった。
でも今回は違った。
私は絶対にイヤだこんな道。目の前の母親が何を言おうと私は間違ってない。正しくないだろうがこの気持ちは私のものだ。許さなくてよろしい。
その時、少しの理性が感じた。もう家族にへりくだらなくたって怖くない。私はここではもう弱くないのかなと思えた。
何十キロ走らせて落ち着いた頃、詫びにとりあえずハッカ飴あげて徐々に仲直りした。帰りには総括のように取り乱して申し訳ないとも言っておいた。この件はもうさっぱり流れた。一息。
そういえば、最近ハマって頭に入れようとしてる本にあった。
これは私の解釈込み要約だし、自己啓発は読んでいて混乱したので容易に信じるものじゃないと思う。でもこんな流れの私はジワジワ決意を固めていった。
「自分は自分を、全力で慰める」と。
泣ききれない家族を励ます。姉に慰めを求める。
入院している父を心配する。
人は皆違うという言葉どころじゃない。そう思っていた時点で比べ続けていた。
慰めを求めたくたって、誰だって自分のこと以外を考えられる余裕は無い。
自分の人生を自分だけで慰めてやろう。慰め励ましは良い意味の言葉らしいが、もう他人にすがりたいと泣く自分が情けない。
この情けない“コイツ”を“私”が面倒見るしかないんだ。
これからたくさん自分の好きをかき集めて、キズができたら必死に埋めて生きていきたい。
個人の思考の結果すぎてこの文章はなんの参考にもならないかもしれないが、誰かが自分の頭で何かの結論に近づけたらいいなと願っている。
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