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「翌朝起きたら、札幌に行くことを決めていました」ー ダイアンさん

堀 泰哲(ほり ひろあき)さん | 堀 ダイアンさん
出身地:札幌市 | ロンドン
職業:精肉店勤務/医療通訳者 | 教師

ー まずは泰哲さんにお伺いします。英国に来た経緯、理由をおしえてください
(以下ヒロ)妻のダイアンは英語教師として来日してて、札幌で出会ったのですが、付き合いはじめて一年半くらいたったときに、教員を目指していた彼女から「教員免許を取るためには、ロンドンの大学院に戻らないといけないのだが、札幌の暮らしも慣れてきたので、どうしようか迷っている」と相談を受けました。僕は「勉強意欲があるなら、今のうちにやっておいたほうがいいのでは」とアドバイスしました。そしてダイアンはロンドンに戻ることになったのですが、それでは今後の自分たちはどうなるのかという話になりました。当時の僕は大好きな祖母が亡くなって、体調も崩したりして、いろいろと将来を悩んでいたところだったので、正直返答に困りました。ただ、このまま漠然と遠距離恋愛になった場合、おそらく別れてしまう気がしたので、僕も一緒にイギリスに行くことにしたのです。最初はYMSビザに応募しましたが、抽選に外れてしまい、年齢的にももう応募できなかったので、であれば結婚しようとなり、婚姻ビザを申請・取得し、イギリスに移住することになりました。

ー ご祖母様は、泰哲さんの人生に大きな影響を与えたようですね
ヒロ:話がかなり遡るのですが、僕は小学校の担任の先生と馬が合わず、いわゆる「不登校児」で小学校の半分くらいは学校に行っていませんでした。3つ上の兄も怪我で入院生活が長く、仕事や家族の世話で大変だった母も体調を崩しがちになっていたところ、江別に住んでいた祖母がよく来てくれて、いろいろ助けてくれました。祖母とは一緒に料理や掃除などの家事をしたり、たまに祖父と来たときには、夕張や長沼のほうまで山菜採りとかにも行っていました。今思うと、幼少期に祖母とこのような時間をたくさん過ごしたことから、物作りに興味がでてきて、手に職を付けたいと思うようになりました。そこから海外留学もして、英語もできるようになり、ダイアンとも出会うことにつながったと思います。

ー ダイアンさんにお伺いします。日本来た経緯、理由をおしえてください
(以下ダイアン)もともとは旅行が好きで、特に思い入れの国などはなかったのですが、小さいときにスペイン語も習っていたり、ロンドンから近いこともあるので、英語教師になってスペインに行こうと思いました。その後、ロンドンで英語の先生になるための学校に通い始めたのですが、その学校で日本人女性(ミカさん)と友達になりました。彼女は大阪の出身で、彼女からたくさん日本の話を聞きました。正直、それまでは日本についてはほとんど知らなく、「ジブリ映画の国」というくらいの知識しかありませんでした。そのうち、ミカさんが帰国することになり、空港まで見送りにいったときにミカさんから「ダイアンは絶対日本に来て英語の先生になるべき!大阪に来たら私が面倒みるから大丈夫よ!」と言われました。両親に「日本で英語をおしえてみたい」と伝えたところ、最初彼らはかなり驚いていました。スペインだって国外なのに、日本はそれよりさらに遠い国ですから。それでも両親は私の決意を尊重してくれて、私は日本で英語教師をすることにしました。

ー その後、来日されましたが、ミカさんのいる大阪ではなく、札幌での勤務になってしまったのですね
ダイアン:
行くと決めた時、JETプログラム*は募集がなかったので、すぐにでも行きたい私は、自分で英語教師の仕事を探しました。ある会社から、「札幌なら空きがあるので、すぐに職に就ける」と連絡が来たのですが、その返事は24時間以内にしてほしいといわれました。私は「北海道」という地名を聞いたことがなかったので、すぐに「Hokkaido」「Sapporo」を調べました。札幌は「雪、ビール、ラーメンが有名」ということがわかりましたが、私は寒いのも苦手だし、ビールも飲めない、ラーメンも食べたことがなかったので、「札幌はちょっと合わないかも・・・」と思いました。何より、友人のミカさんがいる大阪からはかなり離れています。「これはお断りしたほうがいいかな」と思い、その日は床につきました。なのに、翌朝起きたら、頭の中はとてもすっきりしていて、迷いもなく札幌に行くことを決めていました!すぐにその会社に連絡して、3週間後には札幌に降り立っていました。

*JETプログラムとは、語学指導等を行う外国青年招致事業(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略で、外国青年を招致して地方自治体等で任用し、外国語教育の充実と地域の国際交流の推進を図る事業です。

https://jetprogramme.org/ja/

ー 運命的に札幌に来たのですね!思いがけず暮らすことになった札幌での生活はいかがでしたか? 
ダイアン:今でもはっきりと覚えているのが、札幌での最初の朝(2016年6月26日)です。ふと時計を見たら朝の3時45分だったのですが、部屋に太陽の光が差し込み、明るくなっていました。こんな時間にこんなに明るいわけがないと思い、時計を3~4回見直したほどです。カーテンを開けて外を見たところ、山々が美しいとてもきれいな札幌の景色が目に飛び込んできました。空気もとても新鮮で、ロンドンとは全く違う景色が広がっていました。「あぁ、私は札幌に来たのだな」とはっきりと自覚した瞬間でした。

札幌での生活は、まるでジェットコースターのようでした。最初は、他国から来た同じく英語教師をしている女性たちと共同生活でした。彼女たちは私より日本に関する知識もあり、日本語も少し話せたのですが、私はまったくわからないことばかりで、最初はかなり苦労しました。インターネットが利用できるまでかなり時間がかかったので、どこに行くのにも地図を持参していましたが、結局道に迷ったりしていました。

こんな感じでしたので、最初は気分的にも落ち込んで、学校の先生たちに話しかけることも怖くなっていました。勤務先となる学校も、いくつか変更したりしていました。しばらくすると、少しずつ周りの人たちとのコミュニケーションが取れるようになってきて、先生たちも私に話しかけてくれるようになり、お土産などもいただいたりして、だんだんと孤独感もなくなってきました。

そんな中、主人となるヒロ(泰哲さん)と出会いました。最初はLINEで連絡を取り合う感じでしたが、そのうち食料品店などに連れて行ってくれて、イギリスと日本での違うものなどを教えてくれたりしました。プリンターもくれたので、家で学校の資料なども印刷できるようになり、とても助かりました。ヒロの家族もみんなやさしく、一緒にBBQをしたり、山菜取りに行ったり、お母さまには着物を着せてもらったりしました。ヒロと彼の家族からは、北海道についてたくさん教えてもらいました。

言葉の壁や、文化の違いなどで、ヒロとはぶつかることもありましたが(未だにあるのですが(笑))、2018年の夏に結婚しました。初めての日本、北海道で慣れないこともたくさんありましたが、今はとても幸せに感じます。

網走にて。お二人で北海道中を旅行されたそう。「網走刑務所、おススメです!」とダイアンさん

ー ダイアンさんが札幌に来てなかったら、ヒロさんとは出会っていなかったかもしれませんね
ヒロ:その時の僕は、海外での就職を目指していましたが、体調不良で途中帰国、大好きだった祖母も亡くなったりと、いろいろ悩んでいた時期でした。たまたま大通公園のビアガーデンに行った時に、ダイアンと彼女の外国人の友人たちが注文に困っているところに遭遇しまして、しばらく英語で話をしたことがなかったし、外国人がどうして札幌にいるのかも聞いてみたく、話しかけたのが出会いです。
ダイアンのお祖父さんも一年くらい前に亡くなったということで、何か温度感が合ったのが仲良くなったきっかけだったと思います。


後編に続きます

英国・北海道を代表するクマたち。お二人それぞれに雰囲気が似てるかも??




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