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この国での人生の終わらせ方【映画感想】

すさまじい映画をみた。
「プラン75」と言う映画だ。

※以下、ネタバレを含みます。

(1)むき出しの暴力


映画は、ある施設で発生した殺人事件のシーンから始まる。

銃声や乱雑に倒された車イスから、それはどこかの高齢者施設で起きた大量殺人事件であることが暗示的に示される。

そして話が進むにつれて、この事件の犯人は高齢者不要説を唱える狂人であることも鑑賞者は悟ることとなる。

冒頭数分間だけ映し出されるこの事件は、その後この映画の中でまったく取り扱われない。

ただ、この事件で表される「高齢者に向けられた暴力性」こそ、この映画が一貫して表現し続けているテーマだ。

(2)巧みに隠された暴力

この映画の中の日本では「プラン75」という政策が進行している。

この政策は、75歳以上の高齢者は死を自分の意志で選択でき、それを政府は積極的に「支援」するという内容である。

町のいたるところに申込窓口が設置され、死を選択した高齢者には、ご丁寧なことにテレホンオペレーターのメンターがつき、いつでも死に不安を感じたときに相談に乗ってもらうことができる。

そして死を選択した高齢者には、ちょっとした旅行に行けるくらいの「給付金」が支給され、いざ予定されていた死亡日になると、安楽死を実行する施設へと向かい、苦痛を感じることなく最期を迎えることができる。

この政策が立案、施行されるに至った経緯には、社会保障費の大きな負担原因となっている高齢者を効率的に減らしていくという、この世界においての社会的ニーズがあるということがそれとなく暗示されている。

上記のような、高齢者がスムーズに最期を迎えるための「手厚い支援」は、高齢者のためというよりは、このシステムを黙認する形で肯定している【高齢者以外の人々】の罪悪感を緩和させるためにこそ機能している。

冒頭の事件は、むき出しの動物性を爆発させたような酸鼻な凶悪事件だが、この映画内の「日本」が社会を挙げて取り組んでいる「プラン75」も、老獪にコーティングされていはいるものの、その背景にある「高齢者不要説」も、命を奪うという手段も、前出の殺人犯のそれと全く同じなのである。

(3)この映画の登場人物たち

この映画は、主人公が複数いる。
➀年齢を理由にパート先から一方的に退職を強要された高齢女性
➁プラン75の申し込み、啓発を担当している役所の若手職員
➂死を選択した高齢者のメンターを務めるテレホンオペレーター
④安楽死施設で働く外国人労働者

➀の高齢女性がメインのキャラクターで、彼女は最終的に自らプラン75への申し込みを決意するかのように見えるのだが、

・家族と疎遠であること
・パートをクビになったこと
・年齢が理由で再就職できないこと
・心のよりどころである同世代の友人が孤独死を迎えたこと

など、複数の要因に追い詰められ、実際はプラン75を選択せざるを得ない状況へと追い詰められていく。

この過程も、社会的弱者にあきらめさせる事を促すかのような日本の福祉制度の冷たさと、社会全体の無慈悲を見事に抉り出している。

架空の「日本」の話のはずなのに、プラン75が存在するという一点を除いて、あらゆる点が気味悪いほど現実の日本と一致している。

終始画面を覆っている灰色の空気や、人々の当たり障りのない「優しさ」に隠された無関心や、高齢者たちの声なきあきらめや、命の尊厳に対する麻痺してしまった感覚までも。

(4)人生の最終地点

この物語の若者たちも、現実の日本の若者たちのメタファーとしての役割を果たしている。

首尾よく粛々と進めらていく自らの死の手続きに、抗うすべもなく流されていく高齢者たちを、制度の一部として後押ししていく若者たちはやがて割り切れない思いからそれぞれ逸脱的な行為へと走っていくことになる。

彼らは、死を棚上げにして人生の盛りを謳歌している若者ではなく、いずれ自分の人生の最期も同じ形で迎えることになるという暗い現実を背負った存在として描かれている。

「こんな国で生きていれば若者は無気力になるに違いない」

これが私がこの映画に最初に抱いた感想であった。

人生をいくら頑張って生きたとしても、最期がこれならどうして生きる活力がわいてくるだろう。

しかしこの仮想世界に対する感想を、現実世界に向けたとき、はじめてこの映画の本当の恐ろしさが露見する。

「では今の【現実の日本】で最期を迎えたいと思うか。」

つづく


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