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双極性障害 マイノリティであることの孤独感

昨日の夜はなぜか寝つきが悪く、眠りに落ちる前に1時間以上ベッドの上で頭の中を様々な思いや考えが去来していました。

あれや、これやと考えていると、ふと「孤独感」という言葉が浮かんできました。
私は最近とても孤独感を感じるようになっていて、その原因が「自分の持つ双極性障害という精神疾患のせいではないか?」とふと思い当たったようです。
障害の症状というよりも、障害があることにより生まれる社会的な孤独感とでも言えばいいでしょうか。

日本での双極性障害の発症率は0.7%といわれています。1000人のうち7人。どう考えてもマイノリティだと思います。
今感じている孤独感は自分がこのマイノリティであるという自覚から来るのではないかと、そんな風に感じたのです。

今まで、あまりそんな風に考えたことはないのですが、例えば双極性障害がどのような病か、どのような症状に悩まされるのか?どんな辛さがあるのか?といったことを世の中のどれほどの人が理解、あるいは理解しようとしてくれているだろうか?と思い至った時に、強烈な孤独感を覚えたようです。

双極性障害よりは多くの人々が知っている病名、「うつ病」についてすら同じく、どのような病で、どのような心理状況になるのかについて少しでも理解のある人々は、一般的には当事者以外ではほとんど皆無なのではないでしょうか?ごくごく漠然とした理解はあるにせよ。

今まで私は「双極性障害を克服していつか罹患する前の自分に戻る」、という目標を持っていたのですが、考えを切り替えて障害を受容するというスタンスに切り替えたとたんに、自分が精神の健康という面において明らかにマイノリティに属するのだという自覚が芽生え、それが強烈な孤独感を生み出したように思います。

例えばLGBTの方々に対して、私は観念的には何の差別意識も持っていませんが、本当に彼らの置かれている立場を理解していただろうか?と自問するとそうではないような気がします。
彼ら、彼女らは「自分の性に関する意識を人々は理解してくれているだろうか?」
「こういう自分を世間は受け入れてくれるだろうか?」と日々思い悩んでいるのではないでしょうか?
もしかしたら彼ら、彼女らもマイノリティであるという自覚から来る、強い孤独感にさいなまれているのかもしれません。

変な話ですが、私は「LGBTの方々に何の差別意識も持っていない」とそう結論づけるだけで満足してしまい、私の中ではLGBTについては解決してしまっている事項、そんな風に思っていたような気がするのです。

しかし、私一人が頭の中で結論を出したからと言って、彼ら、彼女らの生きづらさや孤独感が癒えるわけではありません。皆カミングアウトすべきか、いや隠し通して生きるべきかというある種の緊張感の中に生きているのかもしれません。

双極性障害(あるいは他の精神疾患も同じだと思いますが)、身内やごく親しい人にそういう病にり患している人がいた経験を持たない限り、一般的にはどこか特異な病、という風に考えられていると思います。
いや躁鬱病という病名は知っていても、双極性障害という病名は知らない可能性も高い。

私が小学生のころ学校の近くに精神科の病院があり、自分には一切関係ないところ、おそろしい病に侵され、気がふれた人々が入院するところ、そんな風に考えていました。
その感覚は長く続きます。大人になってから、精神科の病院の窓枠に柵がしてあるのを目にしては「あ、そういうところだよな」と心の中で変に納得していました。
いずれにしても自分には関係のない世界だと、きっかりと境界線を引いていたことは間違いありません。

今、自分がマイノリティであるという自覚をもち、ふと、その境界線を今度は自分が他の人から引かれているのでは?とそんな風に思い至ったのが昨夜でした。

今まで、私はマジョリティーの側にいる人間だと無意識に信じて、それに安心感を抱き、いやあぐらをかいて、のほほんと生きて来たのではないか?という疑念すら湧いてきました。
少数派の人々に理解を持っている人間と自負していたようにも思うのですが、それが何か偽善だったような気すらします。

精神疾患の症状そのものも決して心地よいものではありませんが、それと同等に社会からの孤立感、孤独感も同じように大きな影響を与えているのではと、そんな思いを巡らしながら寝がえりを何度もうち、いつの間にか眠りに落ちていました。

最後までお読み頂きありがとうございました。



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