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優先席とヘルプマーク 優先席編

病気の影響で立っているのが難しくなってしまい、ここ最近電車に乗るときは優先席のご厄介になっている。座れるとき、特に譲っていただいたときは本当にありがたい。
今回は優先席について、感謝と一掴みのわだかまりをまじえて書いてみたい。

優先席というのは、ふつうに考えれば「体調不良や病気、怪我などで立っていられないひとが優先的に座る席」だ。優先席が優先席として十分に機能するためには─くだいて言うと「思いやり」とか「譲り合い」みたいにデリケートな概念は─、お互いさま精神と良心に基づく暗黙のルールで運用していかないとバランスが崩れてしまう。実際、マークをつけた人や手押し車を押しているひと、赤ちゃんを抱っこしたひとなどが優先席にひとり座るだけでも乗客たちは優先席に対して慎重になるものだ。優先席の役割がはっきり可視化されるのだろう。

しかし、“ふつうに考えれば”が通じない、もしくは分かっていて無視するひとがいると、秩序が崩され「優先席」が機能しなくなってしまう。
わたしのきょうだいは中高時代に足を折って一時期松葉杖をついていたのだが、通学の際、おそらく中高生で体力がありそうだからという理由でなかなか席を譲ってもらえなかったという。わたしも杖をついて優先席前に立っていたら、こちらをチラッと見てから「若いから大丈夫よね」と顔を見合わせて言い合う二人組(それは目の前にいるわたしに訊いてくれ…)に遭遇したことがある。
それから、目の前に立つと急に寝始めるタイプやスマホに集中し始めるタイプにはよく遭遇する。知らないヒトに嫌味を言われたこともある。時には怖い思いもする。これ以上具体的に思い出すと腹が立ってうまくまとめられないのでやめておく。
でも、全体でみれば譲ってくれるひとの方が断然多い。本当にありがたいし、それぞれ皆素敵なひとだと思う。なかには、困ってるときに「この方に席を譲ってくれませんか」と優先席に呼びかけてくれたひとすらいた。そんなひとの有り難さ、優しさだけ受け取るようにしている。


それとは別問題で、助ける側は勿論だけど助けてもらう側もそれはそれで案外辛いものがあるってことを、病気をする前のわたしは全然理解できていなかった。自分で好きに動ける自由を知ってるから余計強くその辛さを感じるのだろうか。以前は軽々できていたことがひとの手を煩わせないとできなくなって、不自由な自分の身体が日に何度もクローズアップされるのだから。
そういう自分の内面の動きと他人は関係ないから、席を譲ってもらったらせめてちゃんとお礼は伝えるように心がけてる。でも、言うのが精神的に辛かったり苦しいひともいるのも理解できる。まずそもそも言うのが困難な身体をもつひともいるだろう。それに、合理的調整に対してお礼を求めすぎるのはヘルシーではない……。
でも、支援する側が一方的に我慢を強いられるのだってやはりヘルシーじゃないのだ。双方の負担を減らすためにも、お互いが力を合わせて建物の構造、物事の仕組みを変える方へ押し進めていくのが理想的なあり方だと思う。今の日本には、改善や相互理解の余地がまだまだ沢山あるんじゃないかな?と、先日Twitterで話題になっていた車椅子の件で思いました。

話が少しそれてしまった。

ちなみにわたしは公共の交通機関を使わなければ通院できないし、通院するお金を稼ぐにはやはり電車やらバスやら利用して働きに出なければならない。でも先述の通り病気で立っていられないから、本音を言えば席に座りたくて優先席の方へ行ってる。
だからこんな記事を書いてると、譲ってもらう前提で交通機関を利用するなんて図々しいと言われたらどうしよう……などと不安に駆られてしまう。譲ってもらう前提で動いてるのが図々しいとしても、申し訳なさがしんどくても、今できる最大限のことをしなければ生きていけないのですが…。

それにしても。
「優先」というのはマジョリティ中心主義の構造から省かれたひとたちがハンディキャップのない人と変わらず行動できるようにするための「優先」で、
「誰でも」というのはマジョリティ中心主義の構造から省かれたひとたちもひっくるめて使えるという意の「誰でも」のはず。
譲ってもらう必要のある側から善意を強制するのはなかなか難しいし、乗客に譲るように勧告する交通機関側だって強い言葉では言えない。そのある種の弱みにつけこんで本来の意味を軽んじるひとたちが少数ながら存在するのは大変残念。損得勘定とか自己責任論とかで世の中からズレていってしまうのだろうか。
でも、目には見えず測れもしない善意に基づいて運用している以上、悪意を持ってる人間や茶化す人間を拒むのも難しい。

まあいろいろ書いたけど、一周まわってやっぱり「思いやり」も「譲り合い」もむずかしく考えるもんじゃないかも。
マーク(ヘルプマーク、マタニティマーク)を携行してるひと、杖(白杖、松葉杖含む)や手押し車のひと、赤ちゃん連れのひとが走行中立つのが難しいのはわかるじゃない。
あと貧血などでしゃがみ込んだり息するのが苦しそうなひとは明らかに具合悪いひとなんだから、近くにいたら無理のない範囲で譲ってあげてほしい。なので、目の前のスマホや本などへの集中はほどほどにして周囲をよく見て。優先席なら特にそうで、妊婦さんの同伴者の方も元気なら混雑時はなるべく立ってほしい。
誰かに席を譲ろうとして、万一断られても何も恥ずかしいことはない。気まずいこともない。むしろ周りをよく見て機転がきくのは人間にとって美点です。

あと、混雑してなければ優先席を必要としているひとだって誰の迷惑にもならずさっと座れるはずなので、文句を言うなら都知事選の公約の一つに通勤ラッシュの解消を掲げてたのに何もしてない現・都知事にどうぞ!


本当はヘルプマークも優先席もひとつの記事で語るつもりだったんだけど、長くなったので前後編に分ける。
なんか結局何が言いたいのかよくわからない記事になっちゃったけど、この煩悶を一部でも誰かと共有できたらいいなあ。

ユキヤナギが咲き乱れてるのを見ると、わたしは人気がまばらで静かな2020年の春の街を思い出す。コロナ禍のはじまりからもう4年も経ってしまったなんて、浦島太郎になってしまった気分だ。

それではごきげんよう!

*後編の「ヘルプマーク編」もあわせてお読みください

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