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日の出待ち

寒くて頭痛いし、寒さだけでなく乾燥して体はかゆいし、ちょっとしたことで落ち込み何も手につかない。寝っ転がってスマホをいじるのが関の山──とはいっても、何したかったのか思い出せなくて複数のアプリの間をふらふらするのみ。疲れは抜けないまま。1日の終わりに、無為に過ごしたことを悔やんでまた凹む。
そんな時期だから自然と愚痴っぽい調子になっていると思うのだけど、つとめて明るく書くつもりなのでどうぞご容赦を。

寒さでいろんなことがままならないのは、ぜんぶ日本の家屋が寒いのと日照時間が短いせいだ!と思いたい。いまは年間通じていちばん日が短い頃だから、せめて早く日が長くなる方へ転じてほしいなと思う。今回サムネイルをゴーギャンの絵にしたのは、ゴーギャンの絵の色遣いや筆遣いに太陽のような力強さがあって惹かれたから。ゴーギャンの絵を見ると日光浴と同等の効果が得られるというわけではないが、

最近は悩みを考え切る元気もなくなってきた。喩えるなら「ごちゃごちゃに混線したタコ足配線を見つけるが面倒くさくて放置」……という感じ。どうにかしないとなあ。

落ち込みついでに思い出したから話すけど、わたしは誕生日が近づくと毎年本当に落ち込んでしまう。ありふれた現象で、世の中には「バースデー・ブルー」なんてふうに呼ぶ向きもあるらしい。ちなみにわたしの誕生月は2月で3ヶ月近く先のことで、今はまだ“その時期”ではない。今は単に寒さが身に堪えているだけ。

わたしが誕生日と向き合うのが嫌な理由は、「歳をとるから」じゃない。そもそもわたしたちは日々成長し衰えているのだから、それは別によいのだ。じゃあ何が問題なのか?
常日頃は日常のあれこれに揉まれることで誤魔化している自分自身の不確かさがなぜか急に目について、何をしていても落ち着かなくなってしまうのだ。何かしらへの反応によってしか立ち現れない自我というものを無理やり引っ張り出すのは、泥のなかに自分の姿を映そうとするくらい意味のないことだと分かっているんだけど、まあ、感情の上ではそう冷静ではいられないときもある。

携帯みたいにその時期だけ電源オフにできればいいのだけど人間だからそうもいかないし、とりあえず楽しみなことを先にいっぱい用意しておくようにしている。夏にもそんなことを書いたね……。
本当に、明日以降も生きていたいと思えるようにする以外の解決方法を見出せないのだ。天気や季節の前ではただひたすら無力。

↑夏に書いたnote。

気分をかえて温暖な地方へ旅行したいなあ〜。

瀬戸内海の方へまた行きたい。


「勝手に西村晃映画祭」は今年中にケリをつけたいところ。はやく更新しないと…。

今日はこの辺りで。あったかく過ごしましょう!
ごきげんよう!

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