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目に見えない虐待

虐待されて小さな子どもの命が奪われる事件が日本では後を絶たない。

私は中学受験をして中学に入るまでずっと母親から虐待を受けてきた。殴る蹴るは日常茶飯事、床に投げられ、床に散らかっているご飯を食べさせられ、罵声をあびせられたにも関わらず、母が私に愛情をくれないことを悲しみ、カッターを手に持ち、「これで首を切るよ」と言ったこともあった。そんな中でも母は冷静で「できるものならしてみろ」と言うだけだった。でも私はそれが虐待だと知らず、もちろん通報する/相談するなんて考えはなかった。

この世には私のように親の愛情を求め、執着し、虐待の助けを求める手段を知らない人はたくさんいるだろう。そういったケースの場合、周囲の人が見ても分かるほどの外傷があったりしない限り問題にされないし、見つけるのも難しい。

私の場合も自分のされてきた事が虐待だと知った昨年からこれまで啓蒙活動を続けてきたが、家庭内で他の人に見つからないように虐待をされてきたせいで「それは躾のうち」「そんな人はたくさんいる」「でも経済的には恵まれている」と何度も言われてきた。経済的にも貧困であったり、目に見える場所に傷があるものだけが虐待ではない。虐待の基準は第三者が決めるものではなく、被害者自信にある。

私のように被害者が相談をしないパターンは難しいが、被害者本人が児相などに相談している場合、自分でそれが虐待だと自覚を持ち、相談するという大きな勇気と確信がなければできない行動をしているわけでそれを「その程度のもの」だとしてしまうのはあるべきではないと考える。

児童相談所に相談して説得されて家に帰らされるというケースも多々あるが、対応の改善が望まれるとともに、私のように第三者の目に見えない虐待をいかに早期発見し、対応していくかが必要となってくる。そのためにはなにをしていく必要があるのか、私たちに何ができるのか考えていく必要がある。

虐待がない日本、子どもに優しい日本を見てみたいと強く願う

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