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ぼっちはたくさん本を読む。

本を読む時間があったのは1人だったから。
私は意外と子供の頃には本を読んでなくてどちらかというと百科事典や図鑑や地図が好きだった。自分の知見を広げるための百科事典に掘り下げるための図鑑に不在がちな父を追いかけるための地図と地球儀。令和ならGoogleにWikipediaにTwitterにGoogle mapとかなのかな。図鑑や辞書は読み物で私の創作ファンタジーに彩りとスパイスだった。
別に独断いじめられてた記憶はないけれども兎に角いつも集団生活が苦手で協調性がない幼少期だった。みんなが右というから右!みたいには絶対に思えなくて納得しないも従えないというか、、、
変に自分のワールドがあったし何よりも学校は退屈だった。だから早く帰って図鑑や地球儀を眺めていたいしみんなと遊びたいから帰りたく無いという思いにはなれず、、でも、だからといって家が最良のの居場所ではなくなったタイミング(姉兄がいなくなった)で早く大人になりたい!早く自分の家がほしい!一人暮らししたい!と思うようなコドモだった。初めて家出する!と口に出したのはたしか小学校低学年で母からただ一言

お父さんの働いたお金で買ったものはおいていくのよ。家を出るってそういう事なの。

と言われ早く働かねば、稼がねば、
とティーンになる前に思ったのである。
さておき捻くれてた時代の話はさておき本を読むには時間が必要。だから本をあまり読まなかった人はきっと友達に囲まれていてその他の事が忙しかったんだろうなと思う。他にしたい事があったから本を読む時間がなかったのだ。本を読むのが好きになったのも一人暮らしをしだして私のアジトが出来てからだった。サードプレイスのスタバや移動中や何でもない日の公園のベンチそこは私の好きな場所なのだ。私もだけど子供を出産した途端にハハの時間が大幅にしめてしまい体力的にも時間的にも情緒的にも本や映画や音楽や趣味が遠ざかってしまう事がある。社会からも隔離され私は私を無自覚に休止してしまったのだ。その後リハビリを経て私は私に戻れたのだけれど。
あれだけ20代で
『私は私と別れられないな』
と半ば諦めにも似たモラトリアムは産後にはまるで記憶から削除したみたいにアタシを活動停止させた。母とは恐ろしく最強なのだ。
いつまで経っても女性ホルモンの呪いは追っかけてくる。怖い怖い怖い。
40才をすぎて私は私を取り戻したけど最近は本が読めてない。単純に集中力低下と加齢よる目の衰えと本屋と図書館から足が遠のいているライフスタイルのせいだ。困ったものだ。なのでインプット出来ないフラストレーションをnoteに息を吐くようにアウトプットする様なのだ。
ざまーみろーとあの頃の私が私を笑っている。
1000文字綴るならページを捲ればいいのにね。
キッチンカウンターには今年?去年?からの私の積読がひっそりと嘲笑っているのでした。

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