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映画のハナシ--アメリカン・ヒストリーX &ミシェル・オバマBecoming 見終わったけど、まだ消化中。

アメリカン・ヒストリーX

白人至上主義に傾倒するダニーの元に、兄デレクが三年ぶりに帰ってくる。デレクは三年前に黒人の車泥棒を殺した罪で服役していたのだ。兄の帰宅にダニーは喜びを隠せない。なぜなら、父親を黒人に殺害されたダニーは、兄のデレクを三年間崇拝し続ける日々の中で、兄以上に白人至上主義に身を染めていた。
しかし、三年ぶりに会うデレクは、以前とはまるで別人のように穏やかで公平な人間になっていた。彼は刑務所の中で何を見たのだろうか。そして、現代アメリカにいまだ蔓延る差別意識。衝撃の結末を提示しながら、同時にアメリカの慢性的な問題を印象的に描いた作品。(Wikipedia )

尊敬する人が好きな映画として挙げていたので気になって鑑賞。震えた、の一言に尽きる。

普段は選ばないジャンルなのでおそるおそる。残虐な暴力シーンも多くそのたびに涙が溢れてしまったけれど、それがリアルなのだと受け止めた。きっとそれらのシーンなしでは成立しないメッセージ性を多分に含んでいた。最後まで観ずにはいられなかった。

もうひとつ。先日ミシェル・オバマ前大統領夫人の密着ドキュメンタリー、マイストーリーも観た。原題はBECOMING。これも、すごくよかった。

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人種、性別、様々な苦しみをバネにしてファーストレディとして大きく生きた彼女から、生きる勇気を感じる作品だった。私はその輝かしいストーリーや希望に満ち溢れた言葉のみを拾って勝手に元気をもらっていたけれど、私の無知故に、社会の、彼女の闇を想像しきれずにいたかもしれない。

知っているつもりで知らないこと。意識的にか無意識か、目を逸らしていること。表面上の美辞麗句だけを信じてしまうこと。拾いそびれてばかりかもしれない、と思う。

今日も明日も自分が生きることに精一杯なのだから、上澄みだけをすくって無関係に楽に生きていくこともできるかもしれないけれど。白人至上主義における被差別側に生きる私は、差別側の一員としてモノを見る癖がある。他人事な証拠だ。誰かが作り上げてくれた平和の上で生きるばかりで、完全に平和ボケをしている。

マイストーリーについても、アメリカンヒストリーXについても、まだまだ自分の中で物語を消化し血肉にしようと試みている最中である。私は人より理解に時間がかかるというのもあって、やっと出会った知識も後に反芻することでしか身にならない。理解できたわけではない、限られた知識をやっとおぼろげな形でインプットしたにすぎないから。本当は大学時代にも白人至上主義、米国の人種差別問題についていくつかの講義を受けたのだけれど、その時は大事なことの多くを取りこぼしてしまっていたようだ。今回、当時よりはリアルに考えることができたと思う。きっとそんな繰り返しは一生かかってもまだ続いているのだろう。


あらゆる苦しみを より自分に近づけて考えることができれば、そこから生まれた数々のカルチャーや発せられる言葉、成し遂げた偉業などを単なる歴史ではなく当人達の’生き様’として一層魅力的に 生々しく感じることができるのだろう、とも。

まずは知ることから。





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