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一緒に暮らす、家事を担う

家事を負担に感じることがある。
家事=妻や母の仕事、って決められてるような気が、私はしている。
家事=家のこと、家にいる人みんなが担うもの、と思いたい。

けれど娘niko(高2)は、「ママの仕事でしょ」という態度だ。
彼女に関してはもういい、と思っている。料理はたまに気が向いてやると上手にできているので必要があればやるだろう。掃除や洗濯も技術的にはできる。小学生のころには、一緒にやる、お小遣い制でやる、を経て、中学以降、普段はほぼ何もしない、に至っている。大学以降は個人の家事(洗濯と料理)、就職以降は家賃負担をしてもらうつもりでいる。

独立したnikoの姉ichiko(26)は、「自分が一番やれる人という状況ではやれる」と気づいたそうだ。きっとnikoもそうであろう。娘たちは大丈夫。

もう1人、現在同居4年目になるシェアメイトの大学生Rちゃんに関しては、家事負担なし(洗濯と自室の掃除のみ本人)を条件に入ってもらっているので、まったく分担してもらわなくても構わない。それでも時々掃除機や、食洗器を回してくれたりする。感謝しかない。

私が期待しているのは、夫I氏(53)である。
彼は掃除洗濯料理と、技術がある。
にもかかわらず、やはりメインの担当者が自分になってしまっていることがモヤモヤしていた。

そんな折、「新しいカテイカ」をご紹介いただいて、ミーティングに参加してきた。こちらが、私が参加したミーティングの様子。

普段、対話の場づくりをしながら、自分自身もこういう場に参加するのは大好き。だから場づくりをしてるんだけど。
そして話題が家事。女性専門のカウンセラーとしても、自分自身の人生においても関心の高い話題。話せること、人の話を聴けること、両方楽しみに参加しました。

「問診票」を使って、3人グループで、話し手・聴き手・書き手を分担して、家事の何にモヤモヤしているか?を話しました。

私自身は、同居メンバーの中で、私と夫が家事を担う人だととらえていて、その2人のあいだで不均衡があり、もっと夫に当事者意識や主体性や責任感を持って、家事に関わって欲しいと思っていることが明確になってきました。

共同生活において、「誰か」が担うことで回っている家事。
夫婦2人のあいだでいえば、自分がやってないことは、相手がやっている。現状を認識したうえで、どうするか。

見えない家事は本当に見えない。
見えないものは、認識できない。
一度認識しても、すぐに忘れる。

私は、夫に何を望んでいるんだろう?
このミーティングの日、
「今日は7時くらいに帰るから、何か買い物して夕飯作っておいてね。ミートソースか、白菜とシイタケ買えば豚肉あるから鍋はできる。ほうれん草とかぼちゃは今日使っちゃってください」
と夫に言い渡して(^^;えらそう)出かけた。

そうしたら帰りの電車でLINEをチェックすると「買い物してきてくれたらミートソース作るよ」と入っていた。18時半。
いやいやいや、帰宅時間(19時)に合わせてできあがるように段取りしといて欲しかったのよ。買い物って、選んで買って運んで、ってけっこう労力いるからさ。

だてに3回目の結婚にチャレンジしてないぞ私。求めている関係性に向かって、リクエストを出すのだ。あきらめないのだ。夫を信頼するのだ。

「今、高田馬場。もう作ってると思ってた。重いから買い物行ってほしい」
と、余裕のないLINEを送る。

最寄り駅に着いたけれど既読がついていないので、あああ、買い物して帰るのか、と夫に電話したが気づかないのか出ず。娘nikoに電話して「買い物したか訊いて?」と頼むと「してないって」と返ってくる。

煮えたぎるような怒りを抱えて、帰り道のスーパーで何を買うべきかわからなくなっていると夫から電話で「白菜とシイタケ買って鍋を作っている」という現状報告。

どの時点で彼が動き始めたのかはわからないけど、帰宅してすぐに食べられる状態になっていました。こ、これをマネジメントなしに実現するにはどうしたらいいのでしょう。

とはいえ、「ほうれん草、このまま鍋に入れていいかなあ」「うん、めんどくさいから、茹でないでいいかな、半分くらい使おうか」とか
長ネギを蒸して彼の好物のねぎぬたを作っていたり、かぼちゃを煮てみたり、幸せな食卓ができているのです。
私は何が不満なのでしょう?

私は、料理は好き。でも、家事としての3食のマネジメントは負担。
夫がもうひとりの大人メンバーとして、バイト的でなく共同経営者になってくれたら嬉しい。
掃除の作業ひとつひとつは、自分自身のクリアリング、リセットにもつながるから嫌いじゃない。でも、すべて自分の役割なのか?と思う。気になる方がやる方式では、気になる方の負担が大きい。気になっていない方は、その作業が見えないのだ。

肉みそを作ってナムルを作って、食事時間の違う家族のためにスタンバイしておくことは楽しい。

スタンバイした素材を、並べて堪能できる一人のランチタイムは達成感がある。

夫は私が作りたがらない、チキンカツ、ハンバーグ、ミートソースなど明らかに美味しいものを作る人である。(キャベツの千切りも含め、私がやると娘からクレームが出る、あ、でも私は一応料理が趣味と言える程度には好き)

でも、「お宅はいいじゃない、うちなんかね」という話は聞きたくない。

能力がある、でもリクエストがなければ動かない、という現状を変えたい。
そして、世の夫という立場の人の中では、かなりやってるやつであるだろう、夫だけれど、役割とか比較の話ではない。

しかし、自分が負担だからといってパートナーに負担を強いるのも全然したいことではない。

いっしょに、家事を暮らしとして楽しめたらいいな。

というのが理想。

新しいカテイカのワークショップで私が導き出した答は。

「同居人を増やすこと」

でした。

私は第1子のichikoが4歳~8歳くらいまで、第二子のnikoが0歳~4歳くらいまでをシェアハウスで過ごしました。
(この記録は 映画『沈没家族 劇場版』をぜひみてください)

その時の家事は、「自分と子どもにまつわるもの」と、「ともに使う環境にまつわるもの」、の2つでした。

私はこの先、再度、「ともに暮らす家」=シェアハウス に住まいたい、そこで子育てする人のサポートをゆるやかにしたい、という希望を持っていて。それを実現できるならば寮母さん的に、トイレットぺーパーを切らさないように補充したり、時間差で食事する人たちのごはんを用意したり、光熱費を集めて口座に入れておいたり、とかは苦にならない。
ということに思い至りました。

カップルや親子の中で、その役割(家事のメイン・マネージャー)をやるのには抵抗があるのに、他者が増えることで(たぶん作業が増えたとしても)担うことに無理がなくなるなんて、我ながら面白い。

いまのところ、夫とはそんな形でよければ一緒に暮らしたい。できる限り家事は担って欲しいけれど、なんの犠牲にもなってほしくない。

対話の素晴らしいところは、誰からも指示されず、全員対等で、ただ自分の気づきを持ち帰れるところ。

これからも、参加したり場づくりしたり、レポートしたりします。
読んでくださってありがとうございます。



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