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【ショートショート】 青の底

 三月の終わり、ぬるい春の日。

 私は、今か今かと時計を見つめる。
 ジリジリと進む秒針が、私の視線の熱で溶けて出す…なんてつまらない妄想をしながら、時が過ぎるのをじっと待つ。

 しばらくして、待ち焦がれたチャイムが鳴る。教壇で先生が何かを言う。それを聞いたクラスメイトたちがどっと笑う。

 いつもの空気、いつもの教室。

 掃除のために机を動かす音、椅子を引いて立ち上がる音。誰かの笑い声に、誰かを呼ぶ声が混ざる。一気に私の周りに音が溢れる。

 音は聞こえるけれど、それでも私の耳には何も情報が入ってこない。どんな音も耳をするりとすり抜けていく。

 ざわつく教室に一切の未練を抱くことなく、誰よりも先に飛び出た私は、一目散に下駄箱に向かう。

 私の出席番号が書かれた下駄箱から、ローファーを引っ掴んでそのまま校門へ目をやる。下足室の混雑に紛れながら、急いで靴を履き替えて校内用のスリッパをスクールバッグに叩き込む。

 今日で高校一年生は終わり、一週間ほどの休みを経て私たちは、半強制的に高校二年生になる。

 わいわいと賑やかな人混みをかき分けて、無我夢中で泳ぐように進み、まずは校門を目指す。

 校門を出てから、ため息のように一度思い切り息を吐いて、しっかり吸う。途中から、無意識に息を止めていたらしく、思わず肩で息をする。

 ──解放だ!

 言葉にならない気持ちに、ぎゅっと目を瞑る。そんな私の背中を、はやる気持ちが遠慮なくぐいぐいと押す。そのままその勢いに任せて、学校の前の道をひた走る。

 ローファーが土埃で汚れようが、じわりと滲む汗が前髪をぐちゃぐちゃにしようが、何一つとして今の私を止めるものはない。
 誰に何を見られても構わないし、誰に何と言われてもまったく気にならない。

 目指すは、海の近くの桟橋だ。

 海に繋がっている道の、最後の角を右に曲がる。海までの道は少し見通しの悪い下り坂で、角を曲がっただけではまだ海の煌めきは見えない。

 それでも、そこに確かに海があることを、その潮騒が、その湿った海の風がこれでもかと私を包み込んで波にいざなう。木々の匂いがむせかえるくらいに密集して生える土の道を、どんどん進む。

 見えた!

 少し強引に雑多な植え込みを抜けて、私はそのまま波打ち際まで駆けてゆく。

 走りながら、手に持っていたスクールバッグを放り投げ、ポケットの中の携帯を出して砂浜に落とす。履いていたローファーを脱ぎ散らかし、靴下も片足ずつ脱いで適当に放る。

 いいの、そんなことどうでもいいの。
 私は私のしたいことを、したいときに思いきりやると、決めたの。

 勢いをそのままに桟橋の先まで走り、すっと息を吸い込んで、私は呼ばれるままに青の底へ吸い込まれた。

 海中の言葉にし難い独特な音が、容赦なく耳の先で響く。
 ごぼりと息を吐いて、私の中から出たその泡が、キラキラとしながら水面へ登っていくのを眺める。

 セーラー服が、浮上する私の足に纏わりつく。
 ゆっくり海の上を目指して進む私は、セーラー服がじわじわ海に溶け出す妄想をして少し愉快になる。

 ざばりと波間に顔を出す。

 こうして、高校二年生の春が始まった。


(1290文字)


=自分用メモ=
海を見て胸を騒がせた後なので、どうしても海の出てくる話を書きたかった。

勢いのままに突き進めるときは、もうその衝動に身を任せて進むことも選択の一つ。
いいの、何でも。後先なんて、必要なときになったら嫌でも考えさせられるのだから。

3月が終わる。今年度が、終わる。明日からまた新しい環境に飛び込む人も多いだろうけれど、「自分の中の声」を聞き逃すことがありませんように…!

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