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【ショートショート】 海の真ん中

 絵を描くことがすきだ。
 別に、特別に上手いわけではない。そんなの自分が一番わかっている。

 それでも私は、絵を描くことがすきだ。

 思っていることを伝えるのは、いくつになっても難しいけれど、いまの気持ちを色で示すことはできる気がする。
 考えていることを問われるのは、昔から変わらず苦手なままだけれど、描きたいものをそのままキャンバスに表すことならできる気がする。

 絵は、正解がないからすきだ。

 誰かが何かを「正しい」とするなら、それを選ばない人はその誰かの中では「間違い」ということになる。

 私はいつだって、本当に真剣に悩んでいるのに、誰かの「間違い」を選んでしまうタイプの人間らしくて、何をするのも下手くそだった。

 その点、絵には「間違い」がない。

 例えばみんなが「丸に見える」と言うものでも、私には「四角形に見える」なら、四角形を描いていい。

 三角形に見えるとしたら…と、想像して描いてもいいし、五角形に誇張して描いても叱られることはない。

 いつだって、絵の中の世界は私だけのものだ。

 だから私の絵では、魚が空を飛ぶし、海の中で風が吹く。散った花は地面ではなく天空に還るし、雨雲から落ちてくる雨粒は星のかけらになる。

 そういうものを、私はうまく言葉にできないから、自分の思うものは思い切り絵にぶち撒ける。

 自分の中にある景色を、ただただ描き表したくて描き残したくて、その一心で描いている。

 このところ、放課後の部活動で夢中になって描いている作品は、私の中の想像に浮かんでいる、「海の真ん中」の絵だ。

 何をもってして「真ん中」なのかは、さほど重要ではない。
 私の思う「海の真ん中」が、正解だ。

「おお、今日もやってますねえ」

 不意に背後から声をかけられて、危うく筆を落としそうになる。

「こ、こんにちは」掠れる声で、挨拶をする。
「うんうん、キャンバスいっぱいに描けていて、とてもいいね」

 ダイナミックな空の絵だと、一言言い残して顧問のお爺ちゃん先生は準備室へと歩いていく。

 海の絵なんだけどなと、心の隅っこで思う。
 多分、鳥が青い風景に描かれているから、空だと思ったのだろうなとも、思う。

 いいのだ、別に、空だろうが海だろうが。

 私の思う海の真ん中は、私がきちんと知っている。
 そしてこの世界のどこかには、きっとこれを見て海の絵だとすぐにわかってくれる人が、いる。

 私は、私の中の「正解」を知っている。

 気がつくと、美術室はすっぽりと夕日に落ちていた。
 その橙色の空気を吸い込んで、ぐっと筆を握り直し、私はキャンバスにまた向かい始めた。


(1067文字)


=自分用メモ=
登場人物をできるだけ削いで、キーワードを何度も使って「私」を強調するよう努めた。また、先週書いたものと対になる作品ではあるが、その視点が直接交差しないようにした。接点は「青い絵」だけ。彼と彼女の世界は、いつかどこかで交わるのだろうか…。


↓先週のお話「はちみつ色の海」


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