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【ショートショート】 あの日のクレープ

 じわりと夜が滲むような、春の夕暮れで満たされた廊下を、ものも言わずに歩いていく。

 そんなミオの背中を、私も同じく黙ったまま追いかける。決してミオのためではない。私は、たぶん私のために彼女を追いかけている。

 部活の後、ミオは確かに泣いていた。
 ロッカールームに忘れ物をしたことに気がついて戻ったとき、私はそれをみてしまった。

 一年の頃から同じクラスで、同じグループで楽しくやってきたけれど、一番仲がいいかと言われたら自信はない。
 ずっとそれくらいの距離感にいたから、彼女が泣いていた理由は、私には全く検討がつかなかった。

 だって、いつだってミオは完璧だったから。

 勉強もできるし、話しだって面白い。歌だって上手いし、絵も描ける。顔も可愛くて、いつも笑顔でたくさんの友人に囲まれていて、彼女のことを悪くいう人を、私はこれまでみたことがないくらいだ。

 そんな人でも、泣くようなことがあるのかと驚きすぎて、不躾にもその顔を思いきり見てしまった。

 見てしまった以上、どうしたのとか大丈夫とか、何か言うべきだと思った。しかし、涙でいっぱいのその目を見た瞬間に、どうしてもかける言葉が見当たらなかったのだ。

 その結果、思わず黙ってその後ろ姿を追いかけ始めてしまい、今に至る。

 今すぐに声をかけるべきだと思ったけれど、では何を言えばいいのかと考えてしまい、心はぐるぐると同じところを巡っていた。

 これまでに、それなりにいろんな話をしてきたつもりだったけれど、よく思い返してみると、私や他の友達が、ミオにそれぞれの話を聞いてもらうことばかりだった気がする。

 すたすたと足早に進むミオの後ろで、ぐるぐるした気持ちを持て余しながら、私はただ彼女を追いかける。

 四階から降りて、一階の西の廊下の端まで来たとき、ついにミオは振り返った。

「何。言いたいことがあるなら、言えばいいじゃない」
「…え、えっと」

 突然の言葉に面食らうと同時に、真っ直ぐ私を見るミオに戸惑う。こんなに怖い顔をしたミオを、私は見たことがない。

「珍しいって思ってるんでしょ。私だって人間だから泣くし怒ることもあるよ」
「…うん」
「私だって」

 ミオは何かを言いかけて、いややっぱりいい、と口をつぐんだ。

「ごめん、ちょっと八つ当たり」
「…うん」

 こんなとき「いつものミオ」ならなんて言うだろう。私は今、ミオに何をどう伝えたらいいのだろう。

 じわじわと滲む夜が、夕焼け色の廊下を暗く染めていく。

 私は何もうまく言えないけれど、今この瞬間に初めてきちんとミオと向き合えているような気がして、慌てて言葉を紡いだ。

「あのさ、駅前のクレープ屋さんについてきてよ」

 そこらにあった言葉を、手当たり次第につかんで押し付けたような私の言葉を聞いて、ミオは少し驚いた顔をして、ちょっと笑った。

 私たちの友情は、そんなふうにして回り出した──。


(1181文字)


=自分用メモ=
とあるシーンを拾って、皺を伸ばしたような小話。話したい気持ちは、知りたい気持ちの上に育つ。知りたい気持ちは、相手への理解に結びつく。
もどかしくてぎこちなくて、それらを強引に押し進めるような瞬間が、そこここに転がる「あの時間」を思い出してまとめた。

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