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【エッセイ】想像力を磨け!

昔から、取り留めのないことを考えることが好きだ。

もしも話は、想像力をフルに稼働させられて楽しい。想像力は、言葉の世界では大きな翼になり得る。

昔から、空想することが好きだ。

ある種の自衛や、現実逃避の役割なんて部分もあったかもしれない。

授業中、教科書の偉人の略歴に思いを巡らせ、ノートの隅っこで夢を見た。

人間の本質なんて、そう簡単には変わらない。
多分私は、死ぬまでいろんな想像をして空想の世界を飛んで、泳ぎまわるのだろう。


そんなことを思いつつ、今日は、不意に思い浮かんだ「自分が映画の登場人物になったら」ということを、休憩も兼ねてコーヒーを飲みながら考えていた。

私、多分映画の登場人物になったら、とりあえずわりと序盤で死ぬタイプだと思うんだよなあ。

「誰かを助けるために!」とか「何かを守るために!」とか、そういう場面にとてつもなく弱い。

え!何なに!助けるやん、任せとき!(しぬ)
お!どうしたら良いん!守ったるわ!(しぬ)

みたいな展開が、手に取るように見える。笑

自己犠牲を美徳に感じるタイプなので、何かの引き換えとして、軽率に死にがちな気がする。

いや、死なないですけどね、そんな簡単に。

現実世界だと、多分それなりにしぶとく生きて悪あがきをするタイプだと思うけど!

そんなことも、想像力があるから際限なく考えていられる。


対人関係でも、想像力は絶対に必要なスキルだ。

これを言ったら、相手はどう感じるのか。
どう伝えたら、自分の考えが相手に伝わるのか。
それをされたら、自分はどう思うのか。

万事想像力が必要で、たくさんの「もしも」を想定してその中で、自分なりの選択肢をピックアップしていく。

いつもベストアンサーを選ぶことはできないにしても、想像力は働かせる分だけ、ベストに近いベターを選ぶことはできるかもしれない。

また、想像力を鍛えることは、すなわち「予見する力」を鍛えることに等しいとも思う。

あまり保身に走った予見をしすぎると、臆病風に吹かれて何もできなくなる可能性はある。それでも、「もしも」を想像して、そこを補うようなフォローをすることも時には必要だ。

幼い頃から、「もしも」を想像して楽しんできた私は、結果としてその想像力に大きく助けられて今まで生きてきた。

何なら、本を読むということは「想像力」が豊かであればあるほど、楽しむことができる気がする。

もしもの想像を経て、本の世界を存分に楽しむことができた私は、気がついたら教壇に立ちその「もしも」を生徒に力説していたと言っても過言ではない。

まあ長々と書いてますけど、何が言いたいかってそのものズバリ「想像力を磨け!」ってこと!

人生の「かもしれない運転」を、軽んずるべからず…。

取り留めのない話から、こんなとこまで語れちゃうのも「想像力」のなせる技かもしれない。知らんけど!

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