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【ショートショート】 地蔵さんの計らい

 昨夜、俺は結構酒に酔っていた。

 職場の付き合いで行った飲み会で、日頃の仕事の話に始まり、休日の過ごし方へ話題は移行する。
 元々プライベートと仕事は分けたいタイプだし、恋人の有無や家族の話になる頃、俺はすっかり疲れていた。

 早く帰りたいなあ。
 まあ帰ったところで、上司や先輩のようにそこに待つ人がいるわけではないけれども。

 それでも俺にとっては、俺の好きなものだけを集めた、唯一無二の休める空間だ。

 表立っては、それなりに愛想良く応対しながら、自分の部屋の窓辺に置いた観葉植物のことを思いつつ、何杯目になるかわからないビールを飲み干す。

 そうこうしているうちにお開きになり、騒がしい酔っ払い集団を適当にあしらって、帰路を目指すことにした。

▪︎

 五月になりたての夜。

 酔った頬を撫でる夜風が、思ったよりもずっと心地よくて、俺の中に渦巻くシラけた本心を暴いていく。

「お前、これで帰っても寝るだけだろ、もう一件付き合えよ!」と絡んできた先輩がいたが、俺はパッと名前を思い出せなかった。あの場は笑って誤魔化して帰ってきたけれど、明日何か言われるかな。面倒くさいな。そもそもあの人、普段は何て呼ばれてたっけ…。

 目的の駅が見えたときには、もう一駅くらい歩いてみたい気持ちになっていた。

 夜になっても、線路の脇の道はそれなりに人が通る。
 一定の間隔をあけて、電車が通り抜けていく。

 ただ歩いているだけの俺を、誰も気にしている様子はない。

 俺は、一人だけれど独りではない気がして、何となくホッとする。群れることが上手く無いから、周囲との距離感はこれくらいが落ち着くのだ。

 てくてくと歩きながら、そんな取り留めのないことを思う俺の目に、小さな祠のようなものがふと映る。

 何の気なしにその前で歩みをとめて、そっと覗くと小さな地蔵さんの足元が見えた。目を凝らせば顔まで見えそうだけれど、そこまでしなくてもとりあえず「そこにいること」はわかる。

 そうそう、これくらいでいい。
 そこにいることが認識できれば、もういいじゃないか。不躾に顔を覗き込んだり、何でもずかずか遠慮なく聞いたりなんて、しなくていい。

 わざわざしなくても、わかることがたくさんあるだろうに。

 ぐるぐるといろんな感情を抱いて立ち尽くす俺の前で、小さな地蔵さんはただ黙ってそこに立っている。
 ふとその前に並べられた、お饅頭が目に留まる。誰かが何かを思って、地蔵さんにお供えしたという事実だけが、そこにあることに気がつく。「何だかいいなあ」と思う。

 俺は思いつきでポケットを探り、指先に触れた小銭を握って取り出す。昼間に飲んだ間コーヒーのお釣りだ。

 取り出したそれを、地蔵さんの前に置かれた賽銭箱のようなものに、じゃらりと全て注ぐ。

 その音を聞いたとき、俺の中に渦巻いていた、言葉にしきれない気持ちが凪ぐのを感じた。

 とりあえず形式的に手を合わせ、何も願うことがないので適当に「明日晴れにしてください」なんて呟いてみる。

 酔っ払いの相手をしてくれたお礼も添えて、そのまま家路に戻った…気がする。その後のことはあまり覚えていない。

▪︎

 今日起きて窓辺を見ると、なかなかいい天気だった。
 明るい光の中に、観葉植物が鎮座していて「何だかいいなあ」と、思った。

(1345文字)


=自分用メモ=
わざわざしなくてもいいことなんて、山のようにある。本当にそう。周囲との距離感の取り方は人それぞれなもんだから、なかなか難しい。特に、「初めまして」が多くて、お互いを知らないもの同士が集まりやすい春先は。
何でも軽率に否定したり、雑に踏み込めばいいってものじゃない。違和感を覚えた人と、上手に距離を取って「自分を尊重すること」は決して悪じゃない。
私は、そう思うよ。

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