で、結局は「シュレディンガーの猫」って、あり得るの? 

シュレディンガーの猫に関して、私は物理学の量子論の原則を物理を知らない人や学生にも理解しやすい例えか、心理学としての思考概念だと考えています。

だから、実世界で、猫が視覚的に認識するまでは、同時に生きてもいるし死んでもいるというのは、起こらないと考えています。

一方で、希望はまさにシュレディンガーの猫だとも思います。希望や想像、しいては計画等も、実際に実行して成功ないし失敗するまでは、成功と失敗両方のポテンシャルを持っていると思うんです。

だから、そうですね…… これが、接触が少ない知人Aさんが入院しているという仮定を「シュレディンガーの猫」に例えた場合の私なりの考えです。

私の頭の中では、Aさんは入院中生きており、退院すると思っています。同僚Bさんから、「Aさん退院して来週復職するんだって」と聞いた瞬間、私の頭の中(思考や記憶)でもAさんは生きている、という結論になります。

一方で、同僚Bさんから「実はAさん先月亡くなられていたんだって、信じられないわ」と聞いたならば、その瞬間私の頭の中でも現実に起きたAさんの状態が事実になったことになるのではないかと思います。

しかし、その一文を聞くまでは、私の中でAさんは確実に生存者である、とも言えるかもしれません。

すると、Bさんから聞いた報告がシュレディンガーの猫の箱を開けた瞬間になるとも考えられると思います。

だから、Aさんは私の思考の中ではたしかに、シュレディンガーの猫の理論が成立している状態とも考えられると思います。

それをいうと、そもそも「箱を開ける」という条件にしているから、現実世界とのギャップが生じるだけかもしれません。この「箱を開ける」という条件を「一つでも情報を得る」に置き換えたら、ある意味、シュレディンガーの猫は成立しているのかもしれません。

私の場合、一定期間連絡が来ていない闘病中の友人への連絡を躊躇するのが、まさに「シュレディンガーの猫」の理論によるものかもしれません。

聞きさえしなければ、私が勝手に「Aさんはきっと元気になって、楽しみが多すぎたり、現実世界が忙しくなってしまあたりして、連絡に手が回っていないだけ」という私の希望(や妄想?)が、私の思考に限っていえば、同時に事実でもあり、非事実でもあるとも考えられるのかもしれません。

この時、私の想像は事実ではなく、現象が生じていれば、それを認知の有無に関わらず、事実は既に存在している。(よって、思考外のリアル世界においては、「シュレディンガーの猫」は実在し得ない、という結論も出せると思います。)

すると、ある意味では、考え方によって二つ結論が導ける仮定というのも、ある意味では、「シュレディンガーの猫」の一種とも考えられるのでしょうか? しかし、同時に考え方によっては完全否定できる現象でもあることでしょう。

だから、私は思考理論としてのみ、「シュレディンガーの猫」は正しいと思います。これが机上の空論ということを証明しているんですかね?(アハハ……)

それでも、私は頭の中のみの世界(想像や希望、フィクション小説や映画)も、体験はリアルだとも思っています。というか、そう考えたいです。(希望的観測かもしれません😅。)

もしかしたら、事実の定義(前提)によって、「シュレディンガーの猫」が本当か机上の空論かが変わってくるのでしょうか、ね……😅?

なんだか、結局は、どっちなの?って感じになってしまいましたね…… 考えれば考えるほど、私自身迷いが出てきました😅

あなたは、どう思いますか?

今を大切に生きよう!

何故、実世界では、「シュレディンガーの猫」に無理がありそうに思えるかは↓↓の記事で😉


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