闘病記❌孤独感❌喜び

他者の闘病記を読むと、大体は孤独感に苛まれる。

「大病」と呼ばれるやつでも結構大丈夫じゃん、と思ってしまうことが多い。

そもそも、なんで闘病記を読むのだろう?

何を求めてるの?

自分と同じ状況に陥っても生きてる人なんて、ほとんどいない。

生きていてスムーズに意思疎通ができる人もほぼ皆無。

同じ病名の人でここまで行っても蘇り、回復している人など世界中を探しても数名文献になってる程度。

同じ人間は一人としていないのだからと自分を納得させようと思っても、同病者だから分かり合える友情とか、理解があるのが当たり前の病名などに若干の憧れを抱いてしまうこともある。

じゃぁ、その誰かと状況を入れ替えたいかと聞かれたら、むしろ変わりたくない。

自分じゃない人間になるのも、自分以外の人生も歩みたくない。

どんだけ自己肯定感が高いのだろうか。

それでも、素朴に繋がるのに何処か憧れる。

自分がどういう状況で、何を思っていて、どう感じていて、涙が流せる性格だったら、どうだろう?

でも、自分のことを他人に話したくない。

どちらかというと、知られたくない。

なんだろう…… 共感を求めているのだけれども、同情はされたくない。

自分自身ですら、何を求めているのか分からない。

ただ、多分闘病記からは、私自身が共感できることを求めているし、もしかしたら自分よりも辛い状況をみたいのかもしれない。

慰められたい?

別の立場からだと、相手が良い(マシ)な状況であることや、無事であること、回復することも嬉しいんだけどなぁ。

結局、何回も再発して生きているのが奇跡だから、他に同じ境遇の人がいないのだろう。

そもそも、底辺というか、死の淵に一度と言わず複数回行ったにも関わらず、今の私ほど回復できている人が他にいないから、類似した境遇に共感し合えることが難しいのだろう。

死んでしまうならば、生き地獄の中で長期間抜け出せずに彷徨うことが分かり合えない。

生きてさえいればと相手は思うだろう。

私は、生きたいけど、解放されたい。

職業が違う、環境が違う、病名が違う、障害が違う、性別が違う。

違いを言い出したらキリがない。

同じ、分かり合えること、自分から伝えていくことで伝わることを増やしていかないとなんだと思う。

しかし何故、病気があり、障害があり、葛藤があり、病気に制限もされて会いたい人に会えなかったり、行きたい所に行けない人を羨むのだろう?

私は何故、羨む視線を感じたらガードが一気に上がるのだろう?

楽しいんだよ。

ごちゃごちゃ言ってるんだけど、極論から言うと毎日何か楽しくて、なんか面白くて、笑顔にもなるし、爆笑もする。

皆んなそうじゃない?

色々考えるし、全てが理想的な状況ってのはまず難しいと思う。

でも、皆んなそうでしょ?

きっと、皆んな色々考えながら、アホなことで笑ったり、何気ないことで笑顔になるんじゃない?

そして、人前で泣けない人ってどれくらいいるんだろう。

私は、あまり人前で涙を流した記憶がない。

涙が見せられれば、随分と色々スムーズに運ぶこともあるんだろう……

そうだね。

いや、そうだよ!

涙が武器ならば、泣き方を学習すれば良い。

よし、これからトレーニングするぞ!

悲しい時に泣けないのなら、その時に意図的に涙を流す練習をすれば解決するじゃない。

別に嘘じゃない。

涙が流せないだけで、他の人ならば泣いてるような感情ならば、涙が流れる理由など関係ない。

できないなら、できるようになれば良い。

そう思ったら、なんだかジメジメした気分なのが馬鹿らしく感じられて来た。

世界一の強運の持ち主だから、あんだけ何回も窮地に立たされても回復できたわけだし、強運の持ち主だからどれ程の窮地に陥り、あの世に一歩足を踏み入れてもここまで回復できている。

喜び以外に感じるべき感情などあるはずもない。

孤独だ?

自分はこの世に自分しかいない。

当たり前すぎてくだらない。

唯一無二の存在であることを誇る以外に何を想えと言うのだろうか。

なんだか書いているうちに心が晴れてきた。

文章は書くに限る。

読者の皆さんも、きっと孤独感に苛まれたり、理解者を求めたり、話さずとも通じることを願うこともあるだろう。

しかし、人は独自性が高いからこそ良いのではないか。

そう。

こういうのは、自分が貴重な存在だから感じる感情。

今を大切に生きよう!

そして今日も楽しいことを見つけよう😊

なければ、作れば良いだけの話ではないか👍

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