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最前線を走ってきた憧れの人たちを追いかけ、評価に見合う自分になる――岡井花子さんインタビュー

中学から始めたソフトボールでは、高校・大学と名門校で鍛え、全国優勝の経験もある岡井花子さん。2018年2月に初めてフレスコボールの大会に出場し、数ヶ月後から本格的に練習をスタートしました。

当初から熱量や身体能力はずば抜けており、2018年末のフレスコボールアワードで新人賞、2019年に日本代表選出、そして2020年2月からの沖縄移住と、みんなが驚きうらやむほどのインパクトを残してきたように見えます。

ただ、当の本人は自分の能力や状況に対してかなりの現実主義。そんな価値観が垣間見えるインタビューになりました。

(実は、2019年頭に1度インタビューしていたのですが、ICレコーダーに一切録音できていないという悲劇に見舞われ、泣く泣くお蔵入りに。今回はそのリベンジも兼ねて、たっぷり聞いています。)


お世辞じゃなく、自分のことのように成長を喜んでくれる

― さて、幻となった前回のインタビューでも聞いたのですが(笑)、フレスコボールに出会った経緯を改めて語ってもらえますか?

わかりました(笑)。今フレスコボール関西の副代表をしているやましょーが大学の同級生で、卒業して久しぶりに共通の友だちと一緒に飲みに行ったときに、「今こんなスポーツやってるんだ」ってフレスコボールの動画を見せてくれて。次の飲み会の前に初めてやりました。

それ以降はしばらく何もなくて、突然、2018年2月にあるバレンタインカップに一緒に出ないかと誘われたんです。ノリで「出る!」と即答して、1、2回練習して大会に行きました。そのときは本当に遊び感覚で。

行ってみたらやましょーが、会う人会う人に「これ、岡井です」って紹介し始めて。「えっ?何?全員友だち!?」みたいな(笑)。

― 確かに紹介された(笑)。

びっくりしましたけど、楽しかったからまた大会あったら誘ってねってやましょーに言ったんです。が、数ヶ月音沙汰なく。

5月のオダイバカップの前に久しぶりに連絡があって、「ついに来た!」と思ったら、「あやみさんがペア探してるんだけど」って。お前じゃないんかい!って思った記憶があります(笑)。

ちゃんとした練習を始めたのは6月くらい。上手な人たちと同じ場所で練習するようになって、そこからスポーツとしての楽しさを感じ始めました。毎週フレスコボールをやるという習慣はその頃からです。

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― その頃にはすっかりレギュラーメンバーになりましたね。

でも、日本代表には全く興味がなかったんです。私の身近にソフトボールの日本代表がいたというのもあって、こんなにまだ小さなスポーツで日本代表を目指そうとは思えなかった。だからただ楽しく、自分が上手になりたいとだけ思ってました。

― 確かに、ただただ誰よりも上手くなりたいっていう感じでした。

打ってて楽しい、取れなくて悔しい、私より速い球を打ってる人がいる、私も打ちたい。そういう気持ちだけでやってきました。

今フレスコボールにハマってる人たちのほとんどは、おだてられてハマったと思うんです。褒められて楽しくなって、また練習して上手くなって。それで、自分より後に始めた人が上手くなったら、今度は自分が褒めるじゃないですか。

その立場になって改めて思いますけど、みんな素直に褒めてるんですよね。お世辞じゃなく、自分のことのように一緒に喜んでくれる。そういうのが伝わるから、楽しいって思えたのかなと思います。

超えられない壁じゃない。ブラジルを意識し始めた夏

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― ブラジルを意識し始めたのはどうしてですか?

その年の夏に、カミーラとシルビアとルイス(ブラジルフレスコボール界を代表する選手たち)が日本に来たことがきっかけです。はっきりとした理由は2つあって、1つは、カミーラとシルビアのプレーを最初に生で見たときに、「目指せるな」と思ったこと。全然、超えられない壁じゃないと思いました。

もう1つは、私たち一人ひとりに丁寧に教えてくれたことに感動したから。ブラジルのトップ選手がわざわざ日本に来て、サマソニの体験会にも参加して、見知らぬ体験者にも声かけたりしてて、その姿にすごく憧れて。あの夏からブラジルを目指し始めました。

― 2019年は前年日本代表の塩崎選手(ちゃんみえ)と組むことになりました。

年明けにちゃんみえから連絡をもらって組むことになって。2019年は自然と、お互いがお互いに寄っていった感じでしたね。1年間でめちゃくちゃ仲良くなりました。

― 2019年のゴールデンウィークには、単身、ブラジルに行ってましたね。

日本で私が一緒に練習してた人たちって、ほぼ全員がブラジル経験者だったんですよ。ちゃんみえと組んで12月にブラジルへ行くことを目標にはしてたんですが、その時に私だけ初ブラジルだったらなんか嫌だなと思って行きました(笑)。

― 要するに下見ですよね。

そうそうそう!(笑)

― 下見が壮大すぎる(笑)。1人でブラジルに行ってみてどうでした?

楽しかったです。ブラジルって危ないイメージがあるし、もちろん油断していいところではないけど、実際にはいい人ばかりでした。ちゃんと友人として受け入れてくれて、「年末にまた会おうね」って言ってくれて。その人たちを裏切りたくない気持ちは強くありました。

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こんな実力で日本代表になっていいのか?

― ジャパンオープンの後は、この結果(3位)では日本代表にはなれないと思ってましたよね?

ジャパンオープン後というより、自分の競技が終わった瞬間から、絶対なれないと思ってました。夏小屋の畳みたいなところで、ちゃんみえと2人でうなだれて(笑)。

― ですが、日本代表に選出されました。

代表が発表されたとき、正直「こんなんで代表になっちゃだめだろう」と思いました。自分の中で“日本代表”というものに対してハードルがあるんですよ。日本代表がレベル10だとしたら、自分は今レベル5のところにいる。なのに選ばれてしまった。だからこそ、その代わりに何か活動をして、残りの5を埋めなきゃいけないと思いました。

― 何かしないと日本代表を名乗る資格がない、みたいな?

そう。私はずっと、フレスコボールを最初から引っ張って走ってきた人たちを1、2年後ろから追いかけてる感覚なんです。1年前は理解できなかったけど、いつの間にかそのときのその人と同じことを考えている、みたいなことをこの2年間で何度も感じてきました。

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たとえば今、日本の女子の状況を見ると、私だけが上手くなればいいという状況ではない。そう考えている私は、1年目のときと真逆ですよね。

― 確かに。

去年、練習場所に体験者が来たときは、まーやさんとあやっぺさんが率先して相手をしてくれてたし、正直それを代わろうとは思いませんでした。それが2人の役割であり、私たちはこの2人に勝つために練習してるんだって思ってたので。

でも1年経ってみて、その相手をする役割が、私に回ってきたなという感覚があります。2人を近くで見ていたから自然に思えたのかもしれませんが、去年2人が通った道を今通ってるんだなと。

― やっぱり体育会っぽいですね。さっき言っていた日本代表の捉え方とか、フレスコ歴の長さとか、先人たちがやってきたことに対する畏怖の念みたいなものを、はなこは人より強く持っている気がします。

入った順番での先輩後輩感は、染み付いちゃってるかもしれないですね。自分の役割を最初から決めて貫くことも大事だと思います。でも、先輩たちがやってきた役割を1回経験してみた上で、自分の役割を判断する方がいいなと私は思うので、みんなが通ってきた道を追っているんです。

― 難しいところですね。初期のメンバーに関しては正直、グランドが全部空いてたから、どこにいても自分のポジション(役割)になった。でもあとから入ってきた人たちは、ある程度グランドが埋まってきてるから、どこが空いててどこが自分のポジションなんだろうって探す期間がやっぱり必要になる。その難しさはあると思いますよ。

あー、その視点は面白い。私は確かにそこを気にしすぎていて、沖縄でクラブ設立の力になってくれた人にも、後を追うことにそんなにこだわらなくていいんじゃない?と言われました。

フレスコボールを沖縄の県民スポーツに

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― でも、そういう気持ちがあったからこそ、このタイミングで沖縄に移住しようと思ったんですよね。

そうですね。日本代表にならなかったら今年沖縄に来ることはなかったです。

― 沖縄ではここまでどんな活動をしていますか?

沖縄に友だちがいたので、2月はその子たちを誘ってやっていて、3月から体験会みたいな形で活動を始めて。その1ヶ月の間に出会った人たちで4月4日にクラブを設立しました。本当に偶然居合わせた人ですけど、1人の人に出会ったことがとても大きな波になっていて、本当に出会いに感謝ですね。これから一緒に頑張って行きたいと思っているところです。

― 今、この先について思い描いていることは何でしょうか?

これまでは、競技者は社会人が中心だったので「テニス上がりの人ってフレスコボール上手だよね」というイメージだったと思います。でも将来は「フレスコボール上がりの人はテニスも上手だよね」って言われるような日本にしたいです。

手軽さという意味でも、思いやりという意味でも、フレスコボールは入りやすさがあります。他のスポーツをやるにしても、とにかく小さい頃にフレスコボールをやって、スポーツマンシップを身に付けて、大人になったら生涯スポーツとしてまたフレスコボールに戻ってきてほしい。

だから私は子どものスクールにも興味があって、今後やっていけたらと考えているところです。いずれは、沖縄のビーチにバーベキューしに来る人は必ず1セット持っているというくらいポピュラーになって、沖縄の県民スポーツになればいいなと思います。

旅行に来る人にも、「沖縄に行ったら、沖縄県民スポーツのフレスコボールは体験したい!」というくらいの認識が広まるように、これから活動していきたいです。

― いつか大会も開催できるといいですね!ありがとうございました!

次回のインタビューもお楽しみに!



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