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ひとが嘘をつく理由(スイートリトルライズ/江國香織)

テディベアデザイナーの瑠璃子と、2歳年下で会社員の夫・聡の、それぞれの不倫を描いた物語。
瑠璃子はいかにも芸術家らしく右脳で生きているタイプの女性で、言語化能力が低くやや社会性に欠ける。対する聡は平凡なサラリーマンで、どこか瑠璃子に気を遣って暮らしている節があった。

他人と話していると、性別や年齢や関係性に関わらず「ラクな人」とそうでない人に分類されるものだが、それは生まれ持ったBPMによるものだと私は思っている。おそらくこの二人のBPMは著しくズレていて、表向きは仲が良くても退廃的なムードが流れるのは、常に聡が瑠璃子のリズムに合わせようと努力し、疲弊しているからではないか…?

そんなことを考えながら読み進めていくうちに、二人はそれぞれBPMの近いラクな相手と出会い、同じタイミングで恋に落ちてゆく。
これまで帰りが遅くなれば、誰とどこで何をしていたかを逐一報告していた、報告しなくてはならないような気がしていた聡が、次第に嘘をつくようになる。

会話は不思議なほどなめらかに進んだ。隠すべきことがあると、おのずと話すべきこともでてくるのだ。これは、いつも何かしら話さなければならないこのうちのなかで、ひどく具合のいいことだった。

それと同時に、聡は不倫相手であるしほに対して、嘘がつけなくなっていく。しほと行って美味しかったイタリアンの店に瑠璃子を連れて行ったという、言わなければそれで済むだけの些細な話を、どうしても言わなくてはならないような気がして伝えてしまう。ちょうど、かつて瑠璃子に対してそうだったように。

一方で、もともと言葉が少ない瑠璃子は、不倫相手である春夫に対してこんな台詞を吐いている。

「私はあなたに絶対に嘘はつけない。(略)なぜ嘘をつけないか知ってる?人は守りたいものに嘘をつくの。あるいは守ろうとするものに」

この言葉が真実ならば、聡が瑠璃子に嘘をつくようになったのは不倫を始めたことで、瑠璃子との結婚生活が「守りたいもの」に昇格したことを意味する。
だからこのタイトル「スイートリトルライズ」、なるほどね。
と納得して終わればよいのだろうが、私はもう一つの可能性について考えずにはいられなかった。
それは、瑠璃子と反対に、聡は守りたいものに対して嘘がつけなくなるたちではないか?というものだ。
春夫との間にきっちり線を引いて家庭を守ろうとする瑠璃子に比べ、聡はしほに対してもっと本気で、のめり込んでしまっているような印象を受ける。瑠璃子に嘘がつけなかった昔と嘘をつけるようになった今を比較して、今の方が愛情が強まっているとは到底思えないのである。強化されたのは愛情ではなく、結婚生活を続けることに対する義務感に過ぎないのではないのだろうか。

この先どちらかの、或いは双方の不倫が終わるのか、はたまた聡と瑠璃子が終わってしまうのかは描かれておらず、真実は分からないままだ。
嘘は愛情の証か?
この問いの答えは、その人の経験次第で変わっていくのだろう。

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