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どうせ生きるなら、小説性をもって。

村上春樹を読んだことがこれまで一冊もない。厳密にいえば、小説について、だけど。さすがにどうなんだと思って手に取ってみたものと、プレゼントされたものと、2冊だけ積まれてあるけど、特段避けるように嫌っているわけでもなく、どうも生活の中での優先順位があがらぬまま今に至っていて、「ノルウェイの森」の映画を見た、くらいしか接点がなかった。けど、エッセイは読む、というかどちらかというとこの人のエッセイは好きです。作品として出力される小説はなんだか水が合わなさそうな感じがしているけど(映画を見た限りですが)、エッセイを読む限り、はなはだ僭越ながらこの人の人間性については、なんだか似ている気が少しするのです、自分と。

そんで、今更ながら、「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んだ。エッセイ好きでランニングする身として、遅くなってすいませんでした。そしてやっぱりよかった。これだけ文章がうまい人が、自分自身が好きで続けていることについて、その自分史(本文中にて「メモワール」と表現されているそれ)を書き綴っているんだから、単に「この人は何を思って走っているのか」だけじゃなくて、「言葉の解像度を極めて高く扱いこなす人が、自分が好きなことを素直に書くとどういう表現になるのか」という観点において、名著だなあとやっぱり思うんです。そして、もちろんなんでもないランナーライフを書いたつもりかもしれないけど、小説家は、自分の人生に「小説性」を持ち込むのがうまいなあと、練習法や本番への向かい方やボストンの川沿いの四季のうつろいなんかも印象深かったけど、一番感じたんです。

村上さんがフルマラソンを始めて完走したのが、アテネからマラトンまでの、元祖マラソンコース(厳密には向きが逆だったり、ちょいと足りなかったりしたらしいけど)だったわけです。雑誌の取材企画にくっつける形で自分で提案して実現と相成ったらしく、サムネイルはそのときの写真なのだけど、ズルいじゃないですかその設定が。「はじめてのフルマラソンは、アテネからマラトンです」って。そういうことをやっちゃうこと、それ以前にそういうことを思いついちゃうこと、そういうことが少しずつ自分の人生を小説っぽくしているような気がして。「嫌な奴だ」と思う人もいるかもしれないけど僕は、他人にどうのこうのひけらかすための所為というよりは、自分の過ごす一日一日を、ちょっとずつ「自分甲斐のあるもの」にするためのスタンスみたいに感じて、一本前に書いたタモリさん同様、自分の人生を楽しい方向に自分自身で演出するスキルとして、大事だなと思ったんです。

なんのことはない、言葉にすれば「せっかくだからさ!」ということな気もする。せっかくギリシャに行くのだから、元祖マラソンのコースを踏破したいと、たまたまフルマラソン未経験の時点で思ったという、それだけかもしれない。でもその「せっかくだから」という、理由になってるんだからなってないんだかわからないマジカルワードは、大事にしたほうがいい。面倒だったり、不安が残ったりで、今回は見送ろうと思ってしまいそうなときに、どうにか踏ん張って「せっかくだから〇〇してみよう」という気持ちを大事にするためにも、メンタルとフィジカルのタフさは大事なわけで、僕もコツコツと走ります。はい。


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