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「ねむらない樹」vol.11 笹井宏之賞を読む

先日の授賞式の感慨や興奮がやっと落ち着き、落ち着きまくったところでようやく感想を……
歌壇賞の記事と同じく、個人の感じたままにぽつぽつ綴ります。

※以下、敬称略


「名札の裏」/白野

笹井宏之賞受賞作品。
第1首めから、なにかぞわぞわするようなストーリーの立ち上がりを感じる。父、母、主体である「おれ」の関係性が描かれていくなかで、「おれ」の感情の発露的な歌があらわれてきて、段階的に深みに入っていく感覚。「おれ」のこころとか叫び、みたいなものが、一見してしずかな歌も含めた50首全体に表れているように思う。
読み終えてからもやはり、1首目の重要性をあらためて実感した連作でもあった。
歌のリアルな情景を想像すると、編み上げるのにかならず向き合わなければいけなかった痛みが、こちら側にもじんじんと伝わってくるような気さえする。

ずっと前から思ってた そう言ったっきり動かない右手の速記

「名札の裏」/白野

選考会では特に触れられていなかったと思うが、個人的に印象に残った1首。何を思っていたんだろう。シーンをあれこれと推測してしまう。「右手の速記」が「動かない」という場面に、ながいながい沈黙、それもちょっと不穏な無音の時間を感じられるような。


「吠えないのか」/森下裕隆

大森静佳賞受賞作品。
第1首目の「おおかみ」をはじめ、ところどころ動物が登場するのだが、その若干お伽噺的な描写の歌と、主体の存在を感じる現実的な歌とが組み合わさっているのが面白かった。最初は幻想的な空気感のまま進むのかと思いきやそうではなくて、バスやホーム、倉庫、自転車といった、きわめて生活に近いものを背景にした暮らしの様子も出てくるので不思議な感じ。
全体をとおして色彩が感じられる気がした。赤青黄のビビッドな原色というよりは、すこしセピアなフィルターの掛かったような。青や白というはっきりした色は、言葉として使われてはいるのだが、歌の景として立ち上がる色の話です。

鞄からつきあかりのクロワッサンを取り出して(うん)ちゃんと寂しい

「吠えないのか」/森下裕隆

「つきあかりのクロワッサンを」の句またがりがかえって良いなあと思う。そして「(うん)」と自分で自分にうなずいているような、確かめている間があって、「ちゃんと寂しい」に繋がるシーンの切り取り方が好きでした。お伽噺的な歌の存在もあいまって、この歌もなんとなく現実からちょっと離れたような読み方もしてしまう。主語がクマでも納得いく。


「なってほしくて」/遠藤健人

永井祐賞受賞作品。
タイトルのみ発表されたときに「なってほしくて」がどういう文脈と意図で使われる日本語なのかすごく気になっていた。表題歌は最後から2首目に置かれていて、そういうことだったのか、と読んでから気づく。「助けてと言ったことには」「ならない」じゃなくて「なってほしくて」。言い切らない終わり方によって、心もとないような、でもほんとうに助けてほしいという切実な印象を受ける。
「父」や「父」と向き合う自分についての歌で、なんだかいろいろと考えさせられた。陰謀論にはまってしまった父、というのが背景にあって、それに対して抱く複雑な感情というかどうしようもなさが燻る。「父」の登場しない歌ももちろん多くあって、主体の声そのままに詠まれた発話的な歌も印象に残った。

平熱の平日の昼の西友へ このごろ肘が父に似てきた

「なってほしくて」/遠藤健人

「平熱の」がちょっと不思議な感じ。おそらくこれより前の歌で「漢方薬」「錠剤」などが出てきたので、ちょうど回復したところ、と読めばいいのだろうか。身近なスーパーへ向かう何気なさと、「肘が父に似てきた」のなんともいえないリアルな実感が面白かった。顔でもなく、歩き方や背格好でもなく「肘」なんだ、という驚き。


「盲霧」/岡本恵

山崎聡子賞受賞作品。
タイトルのとおり、連作全体にうすぐらい霧が掛かっているような読後感。決して明るい作品ではないのだが(それは他の作品にも当てはまるが、特に暗さを感じたのだ)、固有名詞の出し方やシーンの立ち上げ方にもっていかれて、ずっしりと記憶に残る連作だった。旧仮名遣いの醸し出す雰囲気もあいまってか、詠まれたものの「重さ」みたいなものを感じた。
舞台となる地域に詳しくないわたしでも、描かれる背景にきっと根付いている不穏さ、迫りくるような不安に目がひらく。ときどき登場する「父」の存在のあやうさとそれをどこか追いかけているような幼い主体の姿が見えるようだった。

血の濃さを無言で測るやうにして港に父はアクセルを踏む

「盲霧」/岡本恵

この連作のなかでいうと、「父」のことを詠んだ歌がずば抜けて好きなのだが、そのなかでも特に心に残る1首。上の句の比喩を受けとめる下の句の「港に父は」の始まり方。ぐいっとアクセルを踏んでいく足の圧力のかけ方が、「血の濃さを測る」というなんとも生々しい描写に結びつくのが意外でありながら、妙な現実味を帯びていて忘れられない。


「水が歪んじゃう如雨露」/守谷直紀

山田航賞受賞作品。
50首のほとんどすべてが体言止めで終わる、擬人法を用いた物の描写で一貫した連作。こんなにバリエーション豊かに、これだけの数を詠むなんて凄い。ストーリー展開のある連作とはまた違った大変さがあるのだろうと思う。
50首のうち2首だけが体言止めではなく動詞で終わっていたのが不思議な感じがした。個人的にはすべて体言止めでまとめられたものと思って読み進めていたからだ。ただ、それぞれの1首の視点に意外性や面白さがあって、こういうふうに世界を見られたら、物がどんどん動き出して楽しいかも、と感じた。

抑止力かもなと気づくまだ何も刺したことない門のとんがり

「水が歪んじゃう如雨露」/守谷直紀

不法侵入を防ぐための門のとんがりが、自分のことを「抑止力かもな」と気づくという始まり方が面白いなと思う。「門」ではなくて「門のとんがり」だから、ほんとうに刺すということこそが自分の果たす役目だと思っていたのだろう。あ、そうか、みたいにぽろっと気づいたんだろうな。


「バニラ」/橙田千尋

小山田浩子賞受賞作品。
選考会でも触れられているように、現在と過去を行き来しているようなシーンの出し方がある。最初は読んでいてそれにあまり気づかなかったのだが、徐々にその「ずれ」みたいなものが出てきて、学校に通っている「わたし」とずいぶんあとの(現在の)「わたし」が交錯していく。
記憶そのものについてのあいまいさというか、その不確かさをそのまま流れさせて連作になったような印象を受けた。変に繕わない、揺れるままの過去や現在を言葉にしていく感じ。
表題歌である「バニラ」の歌の「バニラ」の意味はやっぱり何度読んでもわからなくて、でも選考委員の方が仰るように「わからなさ」がそのままでいい、とも感じる。きっとこの連作だからこそ、最後を「わからなさ」で終わらせているのではないかと思う。

目の前と頭の中のひまわりがずれはじめたら夏の復路へ

「バニラ」/橙田千尋

すごく気になる1首。先述したとおりこの連作には意図的に時間の「ずれ」が散りばめられていると思っていて、この歌もそのひとつだ。単なる一日の往復の話ではないような気がする。実際に見ている「ひまわり」が、記憶しているのとはどうしても一致せずに、その輪郭がぼやけはじめて、そこで初めてタイムラグに気づくというか。長いスパンでの夏の記憶そのものというか。うまく言葉にできないのですが、不思議な面白さがありました。


以上です。読んでくださった方、ありがとうございました。
あらためて受賞者の皆様、おめでとうございます。
最終候補作からも気になる連作を引きたい……余裕があれば!

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