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教育を考える―大人の読書

10/20(木):教育を考える③
今日も大村はま先生に学びたい!と思います。

「子どもが本を読まない。どうすれば読むようになるのか?」
…そんな悩みに対して私がアドバイスしてきたたった一つのこと
「本を楽しんでいる姿を見せること」
(このことも大村先生の言葉から「そうやんな!」と背中を押してもらったのですが…それについてはまた今度)
このアドバイスを聞いた親御さんの拒否反応の多いこと…「私は本、嫌いなんよ」なんて子どもの前で堂々と開き直ったり、下手をしたら本に興味がある人のことを「まじめか!」的に笑い者にしてしまう親までいます。

もうねぇ!声を大にして言いたい!

何で自分にできないことを「できない!」って子どもに叱れるの?
自分が面白くないものを「おもしろがれ!」って何?
自分が言われたらきついやろ?
ほんで「本読め!」言うといて、読んだらバカにするって何?
そんな大人、害でしかないわ!

…ちょっと毒が止まらないくらい腹立たしいですが、私はそう思っています。
…ということで今日は、子どもに「読ませる」と偉そうなことを考える前に、大人が本を読むことが少し気楽になるような大村先生の言葉をご紹介します。

いろんな本を見てきました。そこから得るもの、それは書評などにでてくるようなものではないのです。私という人間が読んで、そこから何をつかんだり発見したりするか、そうしたものは、必ずしも他の人がいいものだということは決まっていないのです。(中略)ですから、私は子ども達にこの本はいい本は、この本は悪い本、そういったような種類のことは言いませんでした。おもしろかったというようなことを言ったことはありますけれど。いろいろなものを本気で読んでいると、その中から自分の個性に触れるものが出て来て、そして自分が開けてくるんじゃないでしょうか。

‹引用›心のパン屋さん/大村はまp48~

何が書いてあるとか、書いてあることを受け取るとかいった、書き手への方へだけ心を向けないで、何が自分に生かせられるか、といった、自分中心の、読み手中心の読み、と言ったらいいでしょうか。

‹引用›心のパン屋さん/大村はまp49~

きっとnoteでこの記事を目にして下さっている方は「文字を読む」ということへの拒絶感はないと思いますが、昨今、本でも映画でも感想や解釈が溢れていて、「その受け取り方こそが正解」という印象を、ともすれば抱いてしまうのではないでしょうか?
また、どうしても書き手の意図や解釈が中心になってしまう国語教育の弊害もあるのかもしれませんね。
心と身体を軽く、その本と向き合って自身と向き合ってみるのは何より自分を発見できる大切な時間だと思います。
「書評とこの子は別の人、自分と我が子は別の人」をしっかり認識して、本に向かう子ども達の姿を、微笑ましく見守れる大人でありたいですね✨
そして私たち大人も、自信をもって本に没頭しましょうね🎵

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