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日常の先にある、地獄


幼稚園で開いている英会話サークルに、かれこれ10年ほど所属している。ちゃんとネイティブの先生がいるので、英語力をキープするのにいいのだ。このところ忙しくてサボり気味だが、やっと行けた。

今回のお題は " 3 truths and a lie "。つまり、自分のことについて合計4つの情報を出すのだが、そのうちの1つは嘘というゲーム。そして、みんなでどれがニセモノかを当てっこするのだ。

私は前回のnote を書き終えたばかりだったので、だいぶ影響されてこう言った。
「1  私の祖父はシベリア抑留者でした」
「2  私の祖父は神風特攻隊員でした」
「3  私の祖父は戦艦大和の生還者でした」
一同ざわつく。ここまでに1つ嘘を混ぜたので、最後の4番目は真実でなくてはならないのだが、あいにく祖父は2人しかいない。これ以上の戦争ネタもないので、捨て駒として仕方なく、
「4  私の祖父は教師でした」
と、本当のことを付け加えた。

最近来日したアメリカ人の先生は、いまいち日本の戦争事情について理解しておらず、少しぽかんとしている。先生はさておき、「どれだろう……」と相談し合うメンバーたち。その中で30代半ばほどの女性がこう言ったのだ。
「まって。おじいさんは先生になれるほど頭がいいんだよ。特攻隊なんて馬鹿なことしないよ!」と。
私は反射的に口を開いたが、クイズ中なのでグッと言葉を飲み込んだ。
「当時は誰もが仕方がない状況だったんじゃない?」と、誰かがツッコミを入れる声がした。

結局、「2の神風特攻隊は嘘です!」とメンバー。
「残念。本当です。母方の祖父がそうでした。彼は9月の頭に出撃する予定でしたが、8月に終戦になったので生き残れたのです」と、私。
そうこうしているうちに戦艦大和説が嘘だとバレたのだが、私はショックな自分を持て余していた。
「祖父は馬鹿だから特攻隊員になったわけじゃないよ……」
こう言いたかったが、クイズは和やかに次の出題者にまわっていった。


彼女に悪気があるのではない。しかし、あまりにも知らなすぎだ、と思った。ワタシ的には発言には2つ、間違いがあると思っている。
1つは「先生という職業につく人は、誰もが賢いと思っていること」
もう1つは、「特攻隊は一部の馬鹿たちがやらかしたこと」と考えていること。

1つ目については、「先生」などといった権威がある人、地位がある人は頭がいいと盲信してしまうのは危険があるということ(厳密には、教師だったのはシベリア抑留者のほうだったのだが)。
ある程度の知識があって試験を通れば「先生」になれる。それは医者も弁護士も同じ。知識と「知恵」は違う。知識が揃っているからといって「賢い」わけじゃない。

2つ目については、特攻隊が「一部の馬鹿たち」のやらかしと思っているということは、戦争と「賢い自分たち」を切り離して考えている可能性が高いということ。それは、戦争を「軍部の独走」と結論づけることで、「自分たちとは関係ない」と思う危険性がある。
そうではないと思うのだ。戦争は「我々の日常の延長」にあるということだ。


私は昔、イスラエルを旅していて思った。
まだそれほど戦争の危険が差し迫ってもいなかったが、都市の一部では銃を持つ軍人たちがたくさん溢れていて(女性兵士も多かった)、テロなどを常に警戒していた。そしてなによりノーベル平和賞を受賞した、和平派のラビン首相が暗殺された直後だったので、国は大きく傾き、急速に右寄りになっていた。
嫌な方向へ行っている、それはニュースなどを見ていても明らかだった。世界中がイスラエルの今後を注視していた時代だった。
でも、肝心の人々の暮らしはまったく普通なのだ。朝、いつも通りパンを焼いた匂いがして、子どもたちは学校へ行く。市民は普段と変わらずに働きに出る。市場の屋台には色とりどりのフルーツがどっさり。宿屋の主人に至っては、
「ねぇ。なんで観光客は少ないんだ? どうしたら客が来るんだろう」と私に相談する始末。
「この国の情勢が悪いからだよ!」と言っても、「でも、今ここはピースフルなのになぁ」と首をかしげる。
そこで思ったのだ。日常に爆弾が投げ込まれたり、そこが戦場にならない限り、人は気がつかないのだな、と。追い込まれないと、ことの深刻性がわからないのだな、と。

きっと戦時中の日本も、みんな普通に生活していて、新聞を見ていると何やら物騒だけれど、まぁ我が家は楽しく生活できるしいいか。などといった雰囲気で、軍人たちの動きは対岸の火事のように思っていたのではないか。そうしているうちに、ふと気がつけば赤紙が届いたり、爆弾が飛んできたりして、取り返しのつかない、もう引き戻せない事態になっていたのではないかと想像する。そして遺骨になって愛する人が戻ってきたり、家が焼かれ、仕事も無くし、大事な人が黒焦げになっていたりしたのではないかと。
現にそのすぐ後のイスラエルでは、自爆テロや大きな空爆がひっきりなしに起こったわけなのだ。とても観光で渡航できる事態ではなくなった。あのフルーツがたくさん売られていた市場もふっとばされたらしい。


私も昔は「一部の馬鹿」が戦争を起こしたと思っていた。でも違うのだ。それだけではないのだ。
人々の小さい不満や劣等感、プライド、ストレス、損得勘定、独占欲、誹謗中傷、忖度。自分の利益ばかり、自国の利益ばかり考える、視野偏狭。不寛容さと差別意識、排除の意識。
それら有象無象がエネルギーを持って社会を覆い、国民はその余裕のなさから目先の利益に目がくらみ、調子のいい、美味しいことばかりを言う政治家に飛びつくのだ。そんな小さな損得勘定を「エサ」にして票を得たような政権は、いい政治をする可能性は低い。いったん権力を獲得して勢いづいたら、ある日、もう誰も止められなくなる。

あるいは自分のことしか考えない、事なかれ主義。その、他への関心の薄さが暴走を見過ごす。対岸の火事だと思っている。何をやってもどうせ無駄だと「言い訳」を生む。そこにエネルギーを使う気はないし、なんだか格好が悪い。

戦争は、私たち全体の狂気が推進力になっているのだと思う。
国民全員に罪がないわけではないのだ。確かに戦争になると莫大な不利益を被るのは国民なのだが、完全なる被害者ではない。一部の馬鹿だけが悪くて、国民はまったくピュアで無罪、というわけではないと思うのだ。
人々の余裕のない行動、誰かとの比較、損得、排除の意識にそれぞれが気がつかない限り、負のエネルギーは渦巻いていく。
そして後戻りできない状況になる前に、選挙権のある限り、「No!」と異を唱えられる限り、それらの暴走を食い止める責任は「国民」にあると思うのだ。

そして今、まさに第二次大戦の前夜状態なのを、どれほどの人たちが感じているのだろうか。政府は着々と、アメリカの言うがままに戦争への外堀を埋めているとは?
政権公約の不履行、マスコミ操作や圧力、汚職、統計改ざん、文書の改造、強行採決、嘘の積み重ね、共謀罪法の成立、そして憲法改正への動き……。
ネットでは不寛容な他人潰し、芸能人の政治的発言は叩かれ、誹謗中傷が飛び交い、隣国に思い知らさせてやれ、あの国はだからダメだ、という文言が飛び交う。
恐ろしいと心底思っているのは、私だけだろうか。

今の日常はこのまま続くと思っている? 一度あることは、もうないと? 人間は「賢い」から学んだと? もう「馬鹿」ではないと? 
そうなのだろうか。私は、「歴史は繰り返す」という言葉のほうを重く受け止めている。


そして最後に個人的に付け加えるならば。
もう日本が後戻りできない状況になってしまったとき、彼らは馬鹿だから悪ノリして特攻隊員になったわけではない。
祖父に至っては、「未婚の」将校という立場的なこと、特攻隊として先に死んでいった先輩や仲間たちのこと、さらには残された家族や婚約者のこと、それらを鑑みて決断したのだ。決断せざるを得ない状況だったのだ。やりたくて、やりたくて、志願したわけじゃないのだ。
選挙権もない20歳の若者の選択を(選挙権は女性と25歳未満の男性にはなかった)、命をかけて誰かを守ろうとした選択を、「馬鹿」と見下すのはどうかちょっと勘弁してほしい。




ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️