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連続note小説『みやえこさん』③『祝い弔い』

(前回:2.『あんずあめ』)



 実家の母から、めずらしく電話があって。きけば、このあとすごくイイおカネになるお仕事があるから待ちなさいとのこと。それ以上をこちらが尋ねてもはぐらかされたので諦めた。

 西山にしやまツドイ二十八歳男子。田舎のそこそこ優秀な高校から東京へ出て大学を卒業後、小さな商社に勤めたものの夢をあきらめきれず、あてもなく退社、専門学校で写真の基礎を学ぶ。その後は大御所の弟子になるでもなく、ラボに入所するでもなくふらふらとフリーランスのカメラマンを続けている。主な収入源は飲食店のアルバイト。
 
 母からの電話の翌日に、知らない電話番号から着信。表示を見ると我が地元の局番であった。案の定それは依頼主からで、早口の、中年の女性の声だった。聞き覚えはない。見積提示のため、被写体やその他条件を聞き出そうとする前に、「白紙の請求書を渡すからとにかく受注してほしい、必ず、頼みます」との旨。苗字と住所だけを告げられて、電話は一方的に切れた。

 白紙の請求書。そんなものがまさか現実にあるとはね。店のシフトは、慌てて替わってもらった。そういうわけで久しぶりに写真の仕事をもらって、クライアントを訪れることになった。実家がある市街地から少し外れた集落のほう。

 普段なら乗車賃が気になる新幹線で一路北上、在来線に乗り継ぐ。最寄駅からは、これまた普段なら絶対に使わないタクシーを使い、依頼主の元へ向かう。実家のある市街地を抜けて、山を隔てて海に面したむこうの集落へ。あらかじめ調べてみたが、バスは一日にニ往復しか運行していないような場所だった。バブリーな依頼主でよかった。

 いちおう住所はメモをしておいたのだけど、それは不要だった。ドラマや映画の世界でしか観たことがない、「誰々さんの家」と運転手に告げるだけでオーケー、というやつ。自分には馴染みのない名前だったけど、有名なんだなと感心したツドイだった。

 駅前から延びる大通りがだんだんと寂しくなり、少し傾斜がついてくる。いよいよ人家がなくなって、うねりながら登る。そんな風景を数分見せられたのち、ぱっと眼前に漁村が広がる。時刻は午前十一時を少しすぎた頃、陽光はまだ少し東側から港を照らしていた。

 見覚えがあった。水産加工場の見学に来たことがあった。たしか、小四くらいだったなという記憶。

 マップで事前に調べたところによると、この山は弓山ゆみやまと呼ばれているらしく、その名のとおり弓状に集落を三方から囲っている。地元とはいえ、案外知らないものだ。弓がちょうど矢と交差するあたりを市街地からの一本道が貫いている。典型的な孤立型集落。タクシーは漁村のほうへ下りきることなく、弓山の中腹で左折をした。髷平まげだいらさんの邸はそちらにある。

 道幅は狭くなり、対向車が来た場合はどちらがどう譲るのだろうか、もっともそんな心配はほとんどないのだろう。小径をくねくねと進む。弓山でいう上弦の先が半島となって海に突き出る手前の高台に、クルマは止まった。これまたマップで事前に調べた印象によれば相当な広さの敷地。

 「門が開いてるから、玄関まで行けるけどどうします?」

 運転手がそう尋ねてきたので、僕は断って歩いてみることにした。昨夜コンビニでおろしたなけなしの現金のうち、三分の一近くをタクシーに払った。多額のギャランティが発生するとはいえ、少し、帰りのことが気になった。

 門扉からさほどアップダウンなく五分ほど歩くと、豪奢な建物にたどり着いた。丘の上の洋館。横浜の山手でいちどこういう風景に出会ったことがあったが、まさか我が郷里に同じような建築物があるなどとは夢にも思っていなかった。またしても厚い門に出会う。そこも開かれていて、来客を邸内に暖かく招き入れてくれる。

 黒薔薇が妖艶に広がる庭。秋の空に映える。

 ここもまた、見覚えがある。

 控えめではあるが着飾ってきたと思われるゲストの人々もちらほら、庭を散策している。

 僕は、服装は出来るだけ控えめかつ清潔な格好でと依頼主から告げられていた。一張羅の濃紺のスーツを引っ張りだし、白いシャツにあわせ、ネクタイはロクな持ち合わせがないためグレー無地のものを近場の友人から借りた。ふだんは赤いフレームの眼鏡もきょうは黒縁にした。

 大きなお屋敷の玄関には既に受付が設けられ、その前に佇む。
 
「あ、カメラです、写真の、西山です」

 受付の方は一瞬戸惑いながらも、「あ、あぁ」と、敷地の奥にある教会のような建物を指さした。

 「チャペルのメインエントランスではなく、その手前の小さな離れにある扉を叩いてください。なかに人がおります」

 まだ僕は、依頼内容を正確には把握していない。祝い事か弔い事か、どちらかだとは思っている。たとえ祝い事であっても、地味な服装を指定されたのもスタッフだからだと思う。しかしなぜ僕をあんなに急ぎ、そして白紙の...わからなかった。

 受付で言われたとおり、控室のドアを軽くノックする。「どうぞ」という女性の声とともにドアが内側に開く。
 
 「ようこそお越しくださいました。遠いところ」

 先日の電話と同じ早口な女性だった。六畳ほどの狭い部屋、奥はおそらく教会に繋がっていて、ここはその控室のような場所とみえる。左手には、陽光を取り込むための小窓が一枚。部屋の中央には、庭の黒薔薇と同じような色合いの豪奢なドレスに包まれた女性が一人イスに腰かけている。二重で大きな黒目をこちらにきりっと向けながら。

 「こんにちは、ツドイ君」

 「あっ」

 すぐに思い出せた。高校の同級生の花憐かれんさんだ。市内の学校の特進クラスで、三年間一緒だったはず。彼女はどうしてか、学校にほとんど姿を見せなかった。ただ、ひとたび登下校となると黒塗りのクルマが校門に横づけするので、話題のひとではあった。

 ツドイは彼女に対して、失礼ながら”典型的なお嬢様”像とはかけ離れた印象を持っていた。色白ではあるものの、少し大柄で、強い目つきの持ち主であることがその理由だ。在学当時のつきあいはまったくと言っていいほどなかったにも関わらず、記憶をよみがえらせるのに時間を要さなかったのはそのためと思われる。

 考えれば、何のゆかりがあるのか知らないが、母親に連れられ、先ほど受付のあった洋館のメインと思われる建物を訪れたことがあった。ティーパーティみたいなものに招かれ、花憐さんもそこに同席していたような気がする。
 
 ツドイは会釈をした。

 「きょうは来てくれてほんとうにありがとう」

 「いや、こちらこそ、ほんとになんだか、ありがとう。写真の仕事を…」

 「きょうは私と我が家にとって、大きな節目の日になりそう」

 「あぁ、そう、そうなんだね。わからないけど、良い節目だといいね…」

 「あずきさん、ご説明差し上げてください」

 花憐さんの身の回りを世話をしていると思われる、あずきさんと呼ばれる女性、小柄で早口の女性が、きょう僕がここに招かれた主旨を説明してくれるようだった。

 「花憐さんのおっしゃるとおり、きょうはこの髷平家にとって、大切な節目の日になります」

 そういいながら、あずきさんは花憐さんの奥に横たえられている大きな木製の箱を手のひらで差した。

「ご主人が、亡くなられました」

 気が付かなかったが、棺桶だった。よく見れば、RPGで見るような西洋風のもの。さすがに蓋は閉じてある。

 「お悔み申し上げます」

 「えぇでも、それも仕方のないことなんです。いつか人間は死にますからね」

 ”お手伝いさん”らしからぬ物言いだなとツドイは感じた。しかしその奥にいる花憐さんがこくりと頷くのも見逃さなかった。
 
 「ご主人が亡くなったことは、私どもにとって、悲しみの極みです。きょうはその弔いの日でございます」

 「ぼ、私はその風景を写真に収めるというご依頼と考えてよろしいですか?」

 「えぇ、そうです」

 もともと薄気味の悪さを感じてはいたが、あらためて依頼内容をきくと、一気に憂鬱になった。ふと視界の端に、小窓から女性のような影が覗いて、消えた気がする。気のせいか。

 「でも本題はそこじゃないんです」

あずきさんは続ける。

 「と、申しますと?」

 「ご主人はこのように若くして、えぇと、ちょうど四十で不幸を迎えました。けれども、残された私たちは、前を向いて生きなければならないでしょう?」

 「えぇ、もちろんそうです…」

 「つまりですね…」
 
 背後を一瞥するあずきさん。とその後にわかに花憐さんが口を開く。
 
 「ツドイ君、結婚してくれますか」

 「はい?」

 狼狽する僕。

 「あずきさんの言うとおり、私たちは前を向いて、ポジティブに…だから高校のときから慕っている、大好きな、ツドイ君をお招きして、次のステップに進もうと決めたの!」

 「えっ!?はぁっ?」

ドレスの膝をつまんで立ち上がり。

 「結婚しようよ!」

 「ちょっと、ちょっと!落ち着いて!」

 厚底の靴が木目の床に響く。

 「ツドイ君じゃないとダメだとわかったんです!だから!」

 僕にもたれかかるようにしがみついた花憐さんが泣きじゃくる。僕は彼女をどう扱ったらよいか困惑し、立ち尽くす。

 「早く!ウェディングの衣装に、着替えましょう…」

 豪奢なドレスと僕の一張羅の両方を花憐さんの涙が這う。意味がわからない。こちらも泣きたい。

 「もう少し考えさせなきゃダメだろう!」

 背後から男性の声がした。

 「いきなり呼びつけておいて、結婚しようだなんて迷惑にもほどがある!」

 「あ、い、一郎いちろうさん…」

あずきさんは面識のある方のようだ。男性は花憐さんを僕から剥がす。

 「ほら、謝れ」

男性が花憐さんに促す。彼女はまだすすり泣いている。

 「い、いや、いいんです。いいんです。かまいません。ただ困惑を…」

僕は考える暇もなく言葉が口をついて出た。

 「いやはやなんとも、申し訳ないよほんとに。これ以上血を濃くしてどうしようっていうんだ、この田舎の分限者の横暴さときたら…」

 何者か知らないが、この白髪の紳士によって僕が助けられたことはたしかだ。いろいろとひっかかるが、とにかく僕は無事だと思い込む。花憐さんはその場にぺたりと泣き崩れ、あずきさんも背を丸めてうつむいている。

 「俺は哀しいよ」

 一郎さんと呼ばれる男性。

 「ツドイ君、すみませんね、ほんとに。さあ、こんなところからは早く離れたほうが賢明だ」

 僕の背を押し、退出を促す。なぜか僕の名を知っていた。

 一郎さんは、僕を駅まで送り届けてくれた。僕よりも数段立派なスーツに身を包んでいたから、おそらくきょうのゲストのひとりなんだろう。タクシーで来た道を戻る。僕はうまく礼を伝えることができなかった。そもそも状況を未だ飲み込めていないこともあり、言葉が出なかった。そして一郎さんも車内では一言も発しなかった。後部座席に乗せていただいたので、ルームミラー越しに顔を見てみるものの、眉間にしわを寄せ、ときどきまばたきをする以外は顔を微動だにしなかった。

 ロータリーにクルマが寄せられ、降ろしてもらう。僕はそそくさとお辞儀をして、クルマが見えなくなるまで見送った。

 実家に寄ろうとも思ったが、きょうはそのまま改札へ向かった。

 花憐さんが僕を慕ってくれていた。突然呼び出されて、プロポーズされた。亡夫の棺の前で。

 よくわからなかった。



つづく









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