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サイエンス・フィクションを模倣した、セオロジカル・フィクションの続き。。。

こないだサイエンス・フィクションならぬセオロジカル・フィクションを少し書いたんだけど。。。

今日の聖書の言葉に「永遠」が出て来たので、きっとこれは永遠というお題を頂戴したのだ、という気持ちになって、続きを書いてみた。

今日の聖書の言葉。

イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
‭‭ヘブライ人への手紙‬ ‭13:8‬ ‭新共同訳‬‬

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自分が「新しいエルサレム」の第 451階層に住み始めてからの様子を前回紹介した。続きを書かなければ、と何度も思いながら、あれからというもの、ずーっとヒマがなくって、時間がたってしまった。旧世界の暦法なら 5,000年ぐらい経過してしまっているだろうか。

なぜそれほどヒマがなかったかと言うと、新しいエルサレムの住人ならだれでも経験しなければならない「大眷族祭」のホストを務める順番が自分に回って来てしまったからだ。

大眷族祭(ダイケンゾクサイ)とは、自分につながる血筋のもの全員が一堂に会して、王の王であり主の主であるイエスをお迎えし、饗応した上で、イエスよりじきじきに「新しい家族の名前」を賜る、という大規模な祝宴だ。

どれぐらいの範囲が集まるかと言うと、自分から直接の血縁をさかのぼって、さかのぼって、さかのぼって、ついにアダムに至るまでの全員が集まる。それだけなら 200人ぐらいで済むはずだが、ひとりひとりの「家族」も一緒にくっついて来るために、簡単に10倍の 2,000人になる。それだけではない。ひとりひとりが旧世界に身を置いていたときかかわりを持ったすべての被造物たちも「家族」としてやって来る。

旧世界で自分が子どもだった時に、庭にお墓を作ってあげたヤモリ、スズメ、金魚たちが、みんな美しい若者になって、新しいエルサレムの自分の住居を訪ねてくれた、という話を前回書いた。彼ら・彼女らは自分の「家族」というポジションを永遠において得ているために、当然ながら大眷族祭に参加する。 2,000人の招待客がそれぞれそのようするから、人数はさらに膨らんで軽く10万人を超えることになる。

10万人に食事をさせるほど大きな建物は、さすがにこの「新しいエルサレム」にも数えるほどしかない。このため、野外に大きなテントをいくつも張って宴会の場所を用意しなければならない。自分の住居の敷地は 200メートル四方なのだが、それでも足りないので、四方八方の隣家から敷地を貸してもらって、どんどんテントを継ぎ足していく。

10万人が着席して食事を1回するだけで大変な段取りをしなければならない。ところが、王の王であり主の主であるイエスは、大眷族祭に集まったひとりひとりと親しく時間を過ごす。その「ゆっくりさ」たるや、ひとりに対しほぼ1日を費やす感じだ。食事をし語らうその時間を 10万人に対して行っていると、ひととおり終わるまでに 280年ぐらいかかってしまう。

つまり、10万人が一堂に会した宴会を毎日毎日 280年にわたって続けるわけだから、これはもう、ひとつの小さな都市を作って運営するほどの規模の作業になる。そんな大イベントの「ホスト」に自分がなるには能力が足りないので、過去の血族を数千年にわたってさかのぼって、ふさわしいひとたちを饗応役に頼み、280年分のメニューを準備してもらった。饗応役たちは手際よく料理人たち・調理場・食器・食材の手配を進めたけれど、それでも段取りがすべて整うのに旧世界の時間で 50年ぐらいかかった。一方で自分はヤモリ、スズメ、金魚の三人に事務方に就いてもらい、招待状を 10万人に郵送する手はずをしたのだが、凝ったカリグラフィーの手紙に封蝋をして送るというお決まりのスタイルを守ったために、すべて出し終えるのに3年かかった。それから、バラバラに届く返事を受け取り、可能な限り全員が出席できるよう調整を重ねる作業が続き、ほんとうに全員が出られる見通しが立つまでに、さらに 30年かかった。

大眷族祭の初日、新しいエルサレムの最上階から、王の王であり主の主であるイエスが 14万4千人の従者たちを引き連れて、ラッパを鳴り響かせながら、長い長い行列を作ってやって来た。色とりどりの旗を掲げながら、どんどん入場して来る従者たちを見て、自分は卒倒しそうになり、あわてて 12人の饗応役たちに支えてもらう始末だった。なぜなら、これから始まる 280年の大宴会の計算には、イエスの従者たちを数え入れていなかったからだ。しかし、饗応役のひとりが自分の耳にささやいた。

「心配しなさんな。お忘れですかな? イエスは 5つのパンと 2匹の魚で 5千人を食べさせることができるし、水を最上級のブドウ酒に変えて飲ませることだってできるんですから。イエスのお供が 14万4千人だろうが 144億人だろうが、1,440億人だろうが、なんにも心配することはありません」*¹

そう言われると、ああ、確かにそうだ、と気を取り直した。こうして始まった大宴会は、当初の見込みを少し超過して 300年後に大団円を迎え、イエスより参加者 10万人全員をひとつの家族としてたばねる「新しい家族の名前」を賜った。この名前は普遍言語で表現されているために、旧世界のどの言語でも言い表すことができない。そのスゴさたるや、たった一語で10万人ひとりひとりのキャラターや生きざまを全部漏らさず言い当てている *²。

その「新しい家族の名前」を受け取って、満足して帰路に着く招待客ひとりひとりを、自分は敷地の門のところで見送った。全員を送り出して、敷地にもうだれも残っていないのを確認するために、さらに 3年かかったのだが。お別れの挨拶をしながら、自分はひとりひとりに、こう尋ねた。「イエスさまと話をしてみて、どうでしたか?」 すると、アダムからはじまって、セツ、エノシュ、ケナン、マハラルエルから自分にいたるまでの、すべてのご先祖さまたち、その家族たち、その家族がかかわりを持った猫たち、犬たち、動物たち、植物たちが、みんな同じように、口をそろえてこう言うのだった。

「イエスさまは、わたしが知っている通りのイエスさまでした。旧世界で生きていたとき、自分はこの目でイエスさまを見たことはなかったはずなのに、なぜか自分はもうイエスさまのことをよく見て・知って・わかっていて・こころの奥深くまでイエスさまが刻まれていることに、気づきました。そのイエスさまと、このイエスさまは、寸分たがわない、同じイエスさまでした。いま、自分はわかります。イエスさまは、ずーっと最初から自分といっしょにいてくださったのだ、っていうことを。そして、これからも、永遠にずーっと一緒にいてくださるんだな、っていうことを」

イエス・キリストは、きのうも今日も
また永遠に変わることのない方です

事務方を務めてくれたヤモリの少女が、門のところで別れ際にオソロシイ言葉をかけていった。「わたし、次の大眷族祭のホストを務めるようにイエスさまから言われました。ヤモリの一族と、彼ら・彼女らが住んでいたすべての家の人間たちが一堂に会することになります。見積ると、全員で50万人ぐらいになりそうなんです。そこで、お願いがあるんですが、饗応役のひとりになってもらえませんか? だって、今回のことでもう十分経験を積まれたでしょう?」

註)
*1.  Cf. マタイ 14:19-21, ヨハネ 2:1-11, 黙示録 7:4
*2.  Cf. エフェソ 3:15


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