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まったく、しょうがないよな。わかったよ。オレはオマエをゆるすことにした。

聖書って、神の愛のストーリー、とか、神からのラブレター、とか、よく言われる。

けれど、創世記からずーっと読み進めると、切り口によっては、それは、敵との闘争の物語だ、と見えなくもないんだよねー。

人類が最初に抱いた敵意。それは兄弟間のものだった。その敵意は、人類最初の殺人を引き起こしてしまう。

その後も敵意は広がり続け、そこから、さまざまな発明が生まれて行った。

たとえば、敵の侵入を防ぐ「城壁」で囲まれた町、とか。

あるいは、敵を確実にしとめる武器としての「剣」とか。

さらには、敵の戦意を喪失させるため、やられたら七十七倍の仕返しだ!と脅す「剣の歌」とか。

そういう、敵との鍔迫り合いが続くなかで、やがて、人類は「神」という友を得ることになる。

神の友となったアブラハムは、しかし残念ながら、人生から「敵」が消えることは、なかった。

神が友となり、神が味方なら、神は人生から「敵」を消し去ってくれても、いいはずなのに。。。

でも、なぜか、神は、そうしない。

それどころか、「敵」が、さんざん自分を痛めつけ、勝ち誇っていても、神は手を出さないで、ながめているだけのように見える。。。

そう思える状況を、アブラハムの子孫であるイスラエル・ユダヤ人は、歴史のなかで、繰り返し、繰り返し、経験して行くことになる。

だから、当然、こういう叫びになる。。。神さま、どうして「敵」を放置しているんですか? なぜ、やっつけてくれないんですか? って。

「敵」に対する、あるいは、敵を放置している神に対する、怒り・嘆き・叫びが、旧約聖書の詩編のあちこちに、つづられている。

そんなこんな、ぜーんぶあった上で、このイエスの言葉が登場するんだ。

今日の聖書の言葉。

しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
ルカによる福音書 6:35 新共同訳

もうね、敵との死闘が終わった直後に、こんな言葉かけられたら、全身脱力してヘナヘナと地面に座り込んでしまう。

どうして神は「敵」が好きなようにふるまうのを許容しているんだろう?

今日の聖書の言葉の続きに、理由が説明されている。

あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。
ルカによふ福音書 6:36 新共同訳

神はダレに対しても憐れみを抱いている。

ダレに対しても、だ。

で、ダレのなかに、自分の「敵」が含まれている。つまり、自分の「敵」も神の憐みの対象ということになるのだ。

それだけではない。神が期待しているのは、神がそうであるように、自分も「敵」に対して憐み深くあること。。。

自分的には、ここが聖書を読んでいてイチバン恐ろしい所なんじゃないか、と思う。

いったい、どうしたら、神のように憐み深くあることができるんだろう?

神が人生から「敵」を消去してくれないだけで、基本、無理ゲーなのに。

【無理ゲー】難度の高すぎるコンピューターゲームのこと。転じて、実現不可能だったり、達成が非常に困難だったりする物事のたとえ(by 大辞泉)

しかし、無理ゲーだ! と叫んで人生を放棄することもできないので、ここはやっぱり、想像力を用いて乗り切って行くしかないよね。

その想像力とは、理解不能な相手の内面に入り込んで、どうして相手はこういうことをするんだろう、ってイメージすることだ。

想像力を働かせるうえで、小説とか心理学とか社会学とか犯罪学とかSFとか神学とかの知識があると、イメージしやすくなるよね。

でもまあ、ほんとうに他者の内面に入り込めるか、って言うと、それは難しい。やっぱり、どこまで行っても想像の域を出れないところは、ある。

しょせん、想像の域を出れないんであれば、逆手に取って、勝手に想像をふくらませて憂さを晴らすこともできるよね。。。ときどきしてしまうんだけどさ。。。

それは「敵」が自ら犯した過ちのために自滅して行く姿を想像することだ。

しかし、敵の自滅ばかり想像していたのでは、「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」というイエスの言葉からは、外れちゃうことになる。

だから、想像を修正する。

「敵」が過ちをこころの底から悔いて改心し、神による赦しを受け、そして。。。こっから先が絶対ゆずれないところなんだけど。。。敵が自ら誤りを認めて、この自分に対して・ほかのだれでもない・この自分に対して、謝罪し、和解に導かれること。

ここまで、きっちり想像する。

そして、その想像は、自分の祈りになる。

その祈りのなかで、想像をあたかも事実であるかのように先取りして、自分は決心するんだ。

「まったく、しょうがないよな。わかったよ。オレはオマエをゆるすことにした」って。

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