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出口が見えない日々のなかで、救いを考える。

都内のコロナの感染者数のレポートが夕方になるとLINEに届く。

毎日、開くのがドキドキする。。。

このところずーっと数字が前日比でも前週比でも減ってるので、少し安心。

でも、インドの変異株が入って来ているし、ベトナムで新たな変異株が出現したというニュースを聞くと、油断はできないなー、と思う。

身の周りではワクチン接種を終えた!というよろこびの報告をしてくれる人が出てきた。

そのなかには重い副反応を経験しているひとはいないみたいで、これもホッとする要素だ。

コロナ禍による「ニューノーマル」がはじまって1年以上。

もう1年なのか、まだまだ1年なのか、やっと1年なのか。。。

漠然とでも出口が示されていれば耐えやすいけど、見えないなかを待ち続けるのはツライよね。

出口が見えない状態で、どうやって希望を未来につなぐのか?

それを考える時、いつも思うのは、イスラエル・ユダヤ人のことだ。

イスラエル・ユダヤ人は、異国に捕囚される経験を70年したわけだけど、ついに捕囚が終わった! 母国に帰れる! というよろこびを今日の詩編は歌っている。

今日の聖書の言葉。

涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。
詩編 126:5 新共同訳

ところが、彼らの捕囚は、それで終わりではなかったんだよね。。。

イエスが十字架にかかり復活してから37年後の西暦70年のこと。

ローマ帝国軍に包囲されて陥落したエルサレムは、神殿もろとも炎上してしまう。

そして、皇帝の命により、イスラエル・ユダヤ人は世界各地に追放され、流浪の民となること、約2000年。。。

第二次大戦後の1948年に国連のパレスチナ分割決議案によって奇跡的にユダヤ人国家が誕生したんだけれど、エルサレムは国際共同管理下に置かれることになり。。。

しかし、第一次中東戦争でヨルダンがエルサレムを占領。

それを、第三次中東戦争でイスラエルが奪還。

いまエルサレムはユダヤ人国家が実効支配している。

だけど、どこまで行っても実効支配に過ぎないんだよね。。。

だって、国際法上、エルサレムは国際共同管理下に置かれることになっているんだから。

なので、エルサレムが誰に帰属するかをめぐっては、国際社会・アラブ諸国・パレスチナ・イスラエルのあいだで半永久的に決着がつかない問題となっている。

ある意味、シオンの丘に神殿が再建されなければ、精神的な「捕囚」の状態はずーっと続いて行くことになる。

でも、人類の歴史が続く限り、神殿が再建される日は絶対に来ないんじゃないか、と自分なんかは思ってしまう。

もし、悲願の実現は、歴史の彼方にしかないとしたら。。。

だとしたら、現実の生活では、来る日も来る日も「涙の種」を蒔き続けるしかない、ということになる。。。半永久的に。。。

しかし、それじゃあ、困ってしまうので。。。

ここから、もし救済があるとしたら、それは、聖霊論的な救済しかあり得ないんじゃないだろうか、と自分は感じているんだ。

聖霊論的な救済とは。。。

◆ 地上の領域とか、事象とか、制度とか仕組みに依拠しないもの。
◆ 上から、神から、垂直方向から一方的に与えられるもの。
◆ 時間や空間の制限に縛られないもの。
◆ 現実の生活で葛藤しているひとりひとりにあたえられるもの。
◆ 個人が、いま・ここで・すぐ・直観的に、体験できるもの。

それは、こういう感じのものなんじゃないかと思う。

希望の源である神が
信仰によって得られる
あらゆる喜びと平和とで
あなたがたを満たし

聖霊の力によって
希望に満ちあふれさせてくださるように
 *¹

神の国は、飲み食いではなく
聖霊によって与えられる
義と平和と喜びなのです
 *²

あなたがたはひどい苦しみの中で
聖霊による喜びをもって
御言葉を受け入れ
わたしたちに倣う者
そして主に倣う者となりました
 *³

弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた *⁴

註)
*1.  Cf. ローマ 15:13
*2.  Cf. ローマ 14:17
*3.  Cf. テサロニケ一 1:6
*4.  Cf. 使徒言行録 13:52

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