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스물다섯 스물하나

最終回まで駆け抜けた。
野暮ったい。
人生への応援名言が印象的。
二人を見ていると楽しくて、笑顔になる。
かっこよすぎて苦しい。
二人の関係がどんどん変わっていって苦しい。
このまま別れてほしくない。
他に二人が一緒にいる方法はないのか。
辛くて、あの楽しい日々に別れを告げられずとてつもなく苦しい。
この苦しさは、中盤で感じていた幸せな苦しさとは正反対だ。

最終回を終えて

語彙力のない私に、この気持ちがきちんと言い表せるのだろうか。
悔しい。
もやもやするこの気持ちの正体がなんなのか、
自分でもわからない。
私は、ペキジンとナヒドこそ一緒に居るべき二人だと
信じて疑わなかったし、今もそうだ。
初めから二人が結ばれないと知っていたのにも関わらず
結末がわかっていたにも関わらず、あの眩しい瞬間が
永遠のものだと思い込みたくて、信じたくて涙が止まらなかった。

みんなはどんな想いで最終回を見届けたんだろうか。
私のようにもやもやする気持ちはあったのか。
物語のなかの二人よりもずっとずっと、
私の方が二人の青春に未練があるように思えて
辛かった。そんな自分は物語の登場人物の一人にもなり得ない。
私一人の気持ちなど、物語には関係ない。
今から結末を変える力もない。あるはずがない。
それなのに

どうしても強く強く願ってしまった。
二人が一緒にいることを。

ペキジンの愛とは。

ペキジンが確信していた”愛”とはなんだったのか。
恋愛ではなく、家族愛に近いもの?
私にはわからない。
みんなの受け止め方が知りたくてネットを見た。
普通は恋愛から愛に変わるけど、
ペキジンは愛から恋愛に変わったからこうなってしまったと
いう意見があってなるほどと思った。
一方で、ペキジンの”愛”は初めから一切変わることはなかったのだ
という意見もあって、なるほどと思った。

みんなが一つの同じ物語からいろんなメッセージを受け取って
考えて、自分なりの答えを求める。
それで良いんだと思った。
私にはまだまだ難しい気がするけど、考え続けたい。
あのまばゆい日々が、永遠はないということを知ることが
必ずしも悲しいことではなく
その先の人生を豊かなものにするというナヒドの言葉の意味を。

最終回を観終わって、すぐの私の気持ちは
今ここにありのままを書き留めておく。
また時間が経ったら違う世界が見えてくるかもしれないという
想いも込めて。

とにかく、
二十五・二十一の世界にいられて幸せだった。
現実世界で声も出したくないほど、
この世界にずっと居たかったし
この世界が好きだった。

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