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あなたがそばにいれば #13

Natsuki

春彦が淹れてくれたお茶だったが飲むことが出来ず、手のひらの中で湯呑みが冷めていくのを眺め、重い時間が流れるのをただ耐えていた。

自分からも彼に "すぐに連絡して欲しい" とメッセージを入れたが、まだ反応はない。

1分1秒が永遠に感じるほど長かったが、気がつくと22時を回っていた。

「この時間まで何も連絡ないってことは、逆に大事にはなってないとも捉えられるからさ」

流石に春彦も普段は陽気な話をたくさんするのに、この時は冗談も控えていた。それでも笑顔を作って気丈に振る舞ってくれた。

「うん、そう思いたい」

それから十数分が過ぎただろうか。スマホに着信が入った。

遼太郎さんからだった。

春彦も弾かれたように立ち上がった。

すぐに出ようとしたけれど、手が震えてうまく通話をタップできない。
春彦が取り上げてタップしてくれた。

「遼太郎さん!?」

『ごめん、電源切れてて、事務所で充電させたまま会議が長引いていたんだ。会社からも至急家に連絡を入れてくれってメッセージが入っていて』

全身の力が抜ける、とはこの事を言うのか、と思った。
椅子に座っていることも出来ないほど、脱力した。

「良かった…怖かった…事故のニュースを見たの」
『事故?』

事のいきさつを伝えると、彼は心底申し訳なさそうに謝った。

『そうだったのか…本当にごめん。そんなニュース観たタイミングだったら不安になるよな…。でも俺、何ともないから』

「良かった…本当に良かった…」

涙が溢れて言葉にすることができなくなり、途中で春彦に代わってもらった。
私は既にソファでうたた寝をしていた梨沙を抱きしめた。

「姉さん、はい」

話を終え春彦にスマホを渡される。彼の声がした。

『予定より早い便で帰るようにするよ。春彦にもそれまでいてくれって頼んでおいたから』
「何時に着く? 私空港まで行く」
『そこまでしなくて大丈夫。夏希は今は身体を大事にしないと。ただでさえ心労がかかっただろうから』

そう言われて再びハッとする。

夕方、全力で走ったこと。
大丈夫だろうか…。

「うん…」

お腹に手を当てる。
自らの衝動で無茶をしてしまったことを後悔した。

彼は明日の朝(日本時間の)またかける、と言ってくれた。

電話を切って、私はソファになだれ込んだ。

「姉さん良かったじゃん本当に…。義兄さん、予約済みの飛行機をキャンセルして早めの便で帰るようにするって。それまではなるべく姉さんのそばにいてって司令を受けたよ」
「ありがとう…ごめんね」
「全然そんなこと。明日、ここから出勤するためにちょっとの間家に戻って荷物用意してきていい? すぐ戻るから。大丈夫?」
「うん…大丈夫」

そう言って春彦は一度家を出て、ロドリーグも連れて再び戻ってきた時は日付が変わる頃だった。
春彦にも申し訳ないことをした。

「PTSD...これってずっと残るのかな…」

ポツリと私は呟いた。ロドリーグを腕に抱いたまま春彦も唸った。

「う~ん、今回はさすがに、状況が状況だったよね...場所もドイツだったし。ちょっと合致しすぎたかな。そうでなければ、今まで比較的安泰だったでしょう?」

「そうね…。前に遼太郎さんと春彦と、デュッセルドルフの事故現場に行った時、あの時遼太郎さんが色々話してくれて。それでもう乗り越えられただろうって思ってた。あれ以来PTSDの症状はほとんどなくなっていたから。
でも今回はその遼太郎さんが…彼まで失うことになったら本当に怖くて…しかもあの時と同じような状況で…」

春彦は私の肩に手を置いた。
不安な時、手というのはものすごい力を持つのだと、お互いに知っている。

ロドリーグがニャア、といつになく大きめの声で鳴いた。

* * * * * * * * *

3日後の午前中。

彼から連絡が来て、羽田に到着したと言う。なるべく早く着く手段で帰るから、と言ってくれた。

それでも胸騒ぎは完全に収まらず、家の中をウロウロしたり、梨沙を抱き締めたり。
待ちきれずにベランダに出て通りをずっと眺めた。

やや曇った空、肌寒かったけれど、それよりも一刻も早く姿を見たい。その思いで必死だった。

やがて向こうからタクシーが1台やって来て、マンションの前で止まる。
中から見慣れた姿が降りてきて、こちらを見上げた。
そして私に手を振る。

「遼太郎さん…!」

力が抜けてその場にへたり込んでしまう。
でもなんとか玄関まで移動する。

玄関の扉が開き、彼が、帰ってきた。

すぐに飛びつくと、彼は両腕を広げ強く抱きしめてくれた。
彼のジャケットからは冬の匂いがした。

「夏希! 冷え切ってるじゃないか。ずっとベランダにいたのか?」
「怖かった…怖かったよ…本当に…」
「ごめんな。もう大丈夫だからね」

彼の両腕が私を抱き締める。

その手はいつも、大きくてあたたかい。

「身体の調子はどう?」
彼が訊く。
「うん…大丈夫…」

強いストレスと走った事で気にしていたが、今のところ問題はなさそうだった。

「良かった…夏希の体調も気分も気がかりで、この3日間はヒヤヒヤしてたよ」
「…ごめんなさい」
「謝ることない」

私の背をさすりながら、彼の温かさに心がようやく解れていった。



#14へつづく

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