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病のきっかけ。

思えば、学生の頃から兆候はあったのかもしれない。
自分の限界が分からずに溜め込んでは倒れる。
思い通りにいかなくなると相当ネガティブになる。

学生の時は、友達とクラス替えで離れてしまった頃は、毎夜枕を濡らして、色んな事がなかなか思うようにいかず貧血も重なって倒れた事もあったし、限界間近はパニック状態のようなものが出ていた。
一時期人間関係でもかなりのストレスがあったから、今思えば無理もない。

大学4年の就活生。
履歴書の書き方から面接対策、身だしなみセミナーなど事前準備は出来る限りして、合同説明会もたくさん行って、企業様に内定をいただく機会もあったけれど本当にいいのだろうかと就活を続けた。
最終的には冬にたまたま合説を通して「一緒に働きたい!」と思えた方がいる会社に内定をいただき、無事働くことになった。

社会人になりたては、
仕事をちゃんと正確に覚えられず毎日泣くような出来事があったり、眠れない夜を過ごした。
胃が痛む・生理痛が重いなど体に症状が出ても、
「皆当たり前に過ごしてる、これくらいで休んでてはいけない、出来ることを少しでもやっていかないといけないものだ」と、そういう気持ちで片付けていた。
多少無理をしても結果動けていたから、問題ない……と思っていた。

周囲の人に恵まれていたのが救いで、そのあたたかさと優しさで、業務を覚えて出来るようになれば、楽しく仕事をしていた。
当初はその仕事に対して本来求められていることが上手く理解出来なくてミスを重ねて、出来ない自分に連日泣いたこともあったけれど、
先輩方は匙を投げずに指導してくれて、サポートしてくれて、今となっても本当に有り難いと感じている。

働いて数年、中堅ともなれば出来る仕事はどんどん増えて、後輩も出来た。
先輩になるのは想像以上に大変だ。私が気を遣いすぎていたのもあるけれど、人に教えるとはこんなに大変なものなのか、と今まで指導してくれていた先輩方をより尊敬した。


そんな中、指導してくれた先輩の一人が退職して、仕事量がより増えた。

ここが一つのきっかけとなった。

そこで気付かなかったのが、自分のキャパシティ。
元々スケジュール管理がそんなに得意ではないのに色々引き受けて、その上周囲の仕事も気にしてしまう。
自分に出来ることはなんでもしようとすれば、もちろんオーバーしていく。
そして、ちょうどその頃家族が体調を崩したりと、仕事以外でも心配事が増えていった。

次第に、異変が出てきた。
仕事中、一人の時に急に涙が出てきたり、ふと窓の方を見て(今ここから落ちたらどうなるだろう……でも下に人や車があるから迷惑かかるしな)とか考えている自分がいた。
これはまずいな、と段々自覚していた。
でも自分が受け持ってる仕事は自分がやらないといけない、人数も少ない中で休む訳にはいかない、そう自分に言い聞かせて、毎日なんとか出勤していた。

いよいよ会社のデスクで上司が近くにいるにも関わらず涙が出てきた時は、(これはもういよいよだめだな)と覚悟した。
最初は「花粉症で……」とか言ってごまかしていたけれど、日に日に耐えられなくなって、なるべく人目に触れないよう、泣きそうになったらトイレの個室で涙を流していた。

心理学を学んでいた影響なのか、病院(心療内科・精神科)に行く事自体にそこまで抵抗がなかったけれど、行ってから後のことがとても不安だった。

どの精神疾患で診断をされるのか、長期間会社を休まなければならなくなるんじゃないか、仕事で周囲に迷惑をかけてしまうんじゃないか、治療費諸々お金はどれだけかかるんだろう、家族や大切な人にはなんて話そう、もう人生終わったんじゃないか……
そんな心配で、兆候が出始めた頃には病院を探して目星は付けるものの、行く事に躊躇していた。

でも上司が連日泣いてる私を目撃してしまってから、休んだ方がいいんじゃないかと判断されて、
一旦産業医の先生の指示を聞くために面談することになった。

面談日時が決まってからは覚悟も出来た。
コロナ禍もあって精神科・心療内科は予約が取りづらく、初診の受付をしない病院が出るくらいなのは事前に調べていたので、比較的予約が取りやすくて、自分が行ける範囲で通いやすそうな病院を調べた。
直接電話をしてみて、やっぱり何日・何週間もしないと予約が取れなかったりした病院が多かったけれど、最終的に一つの病院に、診察の予約をした。
決め手は、webで空いてる予約日時が分かることと、駅が近くにあったので通いやすさに安心出来るところだった。


その後、上司も含めて、産業医との面談。
産業医の先生は「病院の紹介が今は難しくて、時間がかかるんですよ……」と渋い顔をしていたけれど、事前に自分で病院へ予約を取っていることを伝えると、あっさり休職の方向に話が決まった。
そして一言、「病院から診断書を書いてもらって」と。

これが約二年前のこと。
一回目の休職に繋がる。


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