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きみと私の、助け合いは続く

当時の私は、これまで生きてきた中で一番の孤独を感じていた。

誰もが「おめでとう」と祝福し、誰もが「良かったね」と喜んでくれ、誰もが「幸せでしょう?」と表情で訴えかけてきた。

それなのに、私の心と体は悲鳴をあげていた。
だれか助けて。怖くて、寂しくて、悲しくて、とてもつらい。
どうしてこの気持ちを分かってくれる人が一人もいないの?

私のおなかは、罰ゲームに使う巨大風船でも入れられたかのように大きく膨らんでいた。
息子を妊娠中だった。

***

医者には、妊娠うつの症状だと思います、と言われた。
いわゆる安定期に入った頃のことだ。

産後にうつになりやすいことは知っていたが、妊娠中にまでうつになるとは知らなかった。
十月十日の間、妊婦の体の中では、複数のホルモンが増えたり減ったりを繰り返している。それが自律神経に影響を来し、うつやパニックのような症状が起こりやすくなるという。

つわりが終われば、体調は安定する。マタニティヨガをしたり、赤ちゃんが生まれたら行けなさそうなカフェをめぐったり、妊婦生活を満喫しよう……楽しみにすらしていたその時期は、突然やってきた情緒不安定の波に押し流されてしまった。

私の場合、一度「怖い」と思うともう駄目だった。その瞬間、頭の中に分厚い緞帳が下ろされる。
暗闇の中で正常な思考を行うのは難しい。周囲にきらきら輝くものが現れようとも、楽しげな声や音が聞こえてこようとも、こちら側には届かない。何を見るのも考えるのも、真っ暗闇の舞台の上だ。

何が怖いのかと聞かれても、自分でもわからない。話を聞く夫や母も、さぞかし困ったのではないかと思う。出産が怖かったわけでもないし(無痛分娩だったし、手順がわかっていることはそれほど怖くなかった)、産後の子育てに不安があるわけでもなかった(人並みにはあったが、「まあなんとかなるよね」と落ち着かせられる程度だった)。

途方に暮れた。

産休前だというのに体も満足に動かなくなり、時差出社と、一日数回の休憩室通いで何とか働ける、という状態になった。
こんな働き方でお給料をもらっていることが申し訳ないくらいだった。

出産経験者に「今が本当につらいんです」と相談してみたこともある。
しかし返ってくるのは、

「生まれたら、もっと大変だよ」
「遊べるのは今のうちだよ」
「今を楽しまなくちゃ!」

という、暗い気持ちをさらに落ち込ませる言葉ばかり。

子どもが生まれたら、私は一体どうなってしまうのだろう。
今感じているよりも、もっと大きな不安と恐怖に襲われるのだろうか。
そんな状態で子どもを育てられるのか。
――私は、母親になるのに向いていない人間なのではないだろうか。

***

その時期は、一人で眠ることも難しくなっていた。

布団の中で夫の手を握り、眠る彼の横でスマホを見ながら気を紛らせる。数時間後、ようやくうとうとし始めて……そのまま寝落ちする。
昼よりもさらに苦しい時間だ。

そんなある日、夫が困ったように、風邪をひいたらしいと申告してきた。
妊娠中でなければ、共倒れ対策として「じゃあ別々の部屋で寝ようね」で済む話だ。しかし、今は……。
少しくらいなら大丈夫じゃないのか。うつっても、薬を飲まなければ。
あれこれ考えたが、おなかの中の子のことを考えると、風邪をひくことそのものが恐ろしかった。

協議の末、夫が別の部屋へ行き、私がいつもの寝室で寝ることとなった。
一人、布団の中に身を横たえる。
心臓が、何かに撫でられているかのようにさわ、さわ、と落ち着かない。

緞帳が下りる。「怖い」が来てしまう。

妊婦用の抱き枕をぎゅっと抱え直した時だ。
おなかの内側から、何かが強く突き出したような感覚があった。
この時、妊娠8カ月の少し手前。胎動だ、とすぐにわかった。

実際に体感するまで、胎動とは「赤ちゃんがなんとなく動いている」とわかる程度のものだと思っていたのだが、大きな勘違いだった。
胎児は、母親のおなかの皮や肋骨、内臓に、容赦なくぶつかってくる(もちろん、子宮ごしに)。あまりの勢いに、声が出てしまうほどの痛みを覚えることもあるほどだ。こちらのおなかにおしりや足を押し付けたまま動かなくなることもしょっちゅうで、そんなときはおなか越しに、そっと胎児に触れることができる。たいていは、その手をすり抜けるように、すぐにまた体を移動させてしまうのだけれど。

その時突き出ていたのは、おそらくこぶし。もしくは、足だったのかもしれない。
痛いほどではなかったが、おなかの皮が突っ張る感覚は鮮明で、私はそっとそこに触れてみた。
――すると。
するり、と突っ張りが移動した。
引っ込んだのではなく、そのまますすっと、別の場所へと水平移動したのだ。
こんなことは珍しい。私はもう一度、その突っ張りに触れる。
突っ張りは、手から逃げるように、またもするりと移動した。

それからはもう夢中で、私は突っ張りを追いかけ続けた。
触れる、逃げる。触れる、また逃げる。
こんなにも私の動きに呼応して動いてくれたのは初めてのことで、驚きながらもちょっと感動した。
それはまるで、「鬼ごっこ」のようだった。

やがて、ふっと突っ張りの動きは止まった。
心の中で「捕まえた」とつぶやいて、おなかの中にそっと押し戻してやる。すると一瞬引っ込んだ胎児は、また場所を変えてひょこっと飛び出してきたのだった。
「もう一回やって」と言われたようで、思わず「ふふっ」と笑いが漏れた。

その鬼ごっこは、不思議なことに、私が寝落ちてしまうまで続いたのだ。
「ママはもう眠いよ。今日はもうおしまいね」
そう、小声でつぶやいたのだけは覚えている。

***

それからずっと、心がしんどくなるたびに、あの夜の鬼ごっこのことを思い出した。
胎児は毎日元気よく動いていたが、この日ほど意思疎通が図れたと感じる日は、二度と訪れなかった。

「僕がいるよ」

息子はあの時、それを知らせたかったのではないだろうか。
もちろん、胎児に意思があるだとかないだとか、そんなこと私にはわからない。けれどあの時確かに私は、

「おなかの中には私の息子がいる」
「私は一人じゃない」

という当たり前のことを、体全体を使って、心の深いところから理解することができたのだ。

救いは、暗闇の外ではなく、内側にあった。

***

私は今、生後11カ月になった息子の育児をしている。

「ねえ、覚えてる? あの日もおなかの中で鬼ごっこをしたよね」

高速四つん這いであちこち移動する彼を追いかけながら、時々そんな風に話しかけてみるのだが、当然、けたけたと笑いながら無視される。

彼が外に出てきてから、いったい何回彼にミルクを与えただろう。何度オムツを取り換えて、何度おかゆを炊いて、口に運んで……。
それはすべて、彼が一人前の人間になるための、「育児」という手助けだ。

そして私は日々、彼の存在に助けられている。

抱っこしてほしいと手を伸ばしてくる彼。トイレに行こうとする私に追いすがる彼。眠い時にぺたぺたと私の顔に触れてくる彼。
「私がこの子の母親だ」
――その自覚は、確実に私を強くした。

彼が大人になるまで。もしくは――こんなことは考えたくないが、彼が私たち親を必要としなくなるまで。

孤独など感じる暇もない、助け合いの日々は、続いていくのだ。