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同性愛者であるということ

少し前の話になりますが、AAAの與真司郎さんが同性愛者だということを公表し、話題になっていました。

與真司郎、同性愛者だと公表 AAAメンバー4人とファンが見守る中で決意語る「一緒に生きていこう」 | ORICON NEWS


今回のカミングアウトについて感じたこと。

同性愛者だというカミングアウトはそもそも必要なのか。

異性愛者は「私の恋愛対象は異性です」なんてカミングアウトはわざわざしません。

恋愛対象が異性であるか、同性であるか。
会話の流れで自然と出ることならともかく、本来なら改めて話すことではないと私は思います。

誤解しないでいただきたいのは、私は與さんのカミングアウトを否定したいわけでも、異議を唱えたいわけでもありません。

同性愛者に限らず、LGBTQ+であれば必ず付いて回るであろう"カミングアウト" 

そもそもカミングアウトとは何か。
改めてカミングアウトの意味を調べてみました。

カミングアウト(coming-out)
[名](スル)《「カムアウト」とも》
1 公表すること。人に知られたくないことを告白すること。
2 同性愛者であることを公言すること。
3 性同一性障害者が、自分がそうであると告白すること

コトバンク

カミングアウトの意味を考えると、LGBTQ+は隠すことが前提となっているように受け取れます。

体と心の性別が同一で、恋愛対象が異性である...いわゆる"ノーマル"は他人に知られて困ることはありませんし、隠す隠さない以前に、まずそんな議論すら生まれません。

それなのに何故、LGBTQ+は他人に知られたくないのか、隠すことが前提なのか。
ノーマルとLGBTQ+では一体、何が違うのか。
ノーマルとLGBTQ+でベクトルが変わってしまうのは何故なのか。

ノーマルの人間が「普通で、正常であり、常識である」

一方、LGBTQ+の人間は「普通とは違う、イレギュラーで、常識からは外れている」

LGBTQ+はノーマルとは違う別枠にいる人たち。
マイノリティであり、特殊な存在。

そんな考えが、世間一般にまだ根強くあるからこそ、見えない大きな壁を作り、他人には知られたくない、隠さなければならないという概念が生まれるのでしょう。
それ故、カミングアウトするかしないかというLGBTQ+ならではの問題にぶち当たる。

與さんのカミングアウトは、LGBTQ+に対してまだまだ偏見のある世の中だからこその行動だったのでしょう。
自分がゲイと世間に公表することは、大変、勇気のいることだったと思います。

芸能人で影響力ある與さんのカミングアウトは、同じLGBTQ+で悩む人たちへの励みになったと思いますし、社会に対して大きな働きかけになったのではないでしょうか。

個人的にはLGBTQ+でカテゴライズすることや、ノーマルと線引きするようなLGBTQ+という言葉すら必要なのかと疑問に感じるところですが、まず社会への理解に繋げるには、カテゴライズやカミングアウトも今はまだ必要なことなのかもしれません。

LGBTQ+であるということを、カミングアウトという形ではなく、多くの人たちが経験したであろう修学旅行の夜にした恋バナのように、何気ない会話の中で、当たり前のこととして、気軽に話せる。

そんな時代がいつか訪れることを願わずにはいられませんし、私自身もより理解を深め、もっと考えていかなければならない問題だと思いました。

<追記>
今回、ノーマルという言葉を多用していますが、正直、ノーマル〈普通・標準・正常〉という言葉にも違和感を覚えます。
何をもってノーマルと言えるのか。
LGBTQ+はノーマルではないのか。
とにかくカテゴライズして、LGBTQ+を少数派として分けてしまうことや、わざわざLGBTQ+を特別視するような法案を設けることにも疑問を感じます。
もっとフラットに考えていいのではないでしょうか。
但し、スポーツ競技や女性スペースについては、区別と線引きが必要だと思います。

<追記2>
同性婚には賛成の立場です。

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