「トップランナーによる人生の特別講義・その➁」元横綱白鵬、宮城野翔さん。
※本記事4000字超あります。
お時間ございましたらお願いいたします。
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今現在この記事を書いている瞬間の私は、100%「侍」モードです。
昨夜の記事で俳優の松重豊さんと、禅僧・庭園デザイナーの枡野俊明さんの生トークライブの話しを書いた。
(こちらの記事です。よろしければお願いいたします。↓↓)
こちらのお二人のトークの中で「禅」というキーワードが度々出て来ていた。
そもそもが「禅」っていったい何なんだろうか??からの”ラストサムライ”
そうなのかあ………
なるほどなあ…………………
「静かに考えること」これを禅、と呼ぶのなら、私が毎日毎日ひとり脳内で永遠に繰り返していることは、まさに禅そのものだと思った。
「この世のすべてはあるがままの状態で良い」や「自分という存在はいったい何なのよ?その真実を生涯追求し続けたい」という思想、人生哲学的なものが、私の中にはいつの間にか生まれていた。
その私の思考の内容が「禅」の世界観と共通しているな、ということには、以前から気が付いていた。
ちなみに、昨日自分が書いた記事を振り返っていて、私の脳内を巡った思考の流れはこんな感じ。↓↓
禅と言えば→お寺だよなあ。
お寺と言えば→
仏教。仏教と言えば→
「侍」って感じがするよな、なんとなく。
侍と言えば→
私はなぜだか妙に昔っから、侍に猛烈に心惹かれるんだよな→
「それはなぜなんだろうか?」という問いで今、頭がいっぱいになっちゃった。もうそのことしか今は考えられないな→
とりあえず、私が大好きな映画「ラストサムライ」のユーチューブ動画を探し、観てみようかしら→
からのユーチューブ見る。
侍たちが襲来してくるシーンになると、身体の奥深くが煮えたぎるような感覚がして、全身の表面がゾワゾワとして、毎回鳥肌が止まらなくなる→
ひょっとしたら私は、前世では侍だったんじゃないか?とすら思い始める→
自分のDNAのルーツを改めて思い返してみる
このような思考がもう瞬時に働いてしまったり、侍たちの戦いを見ると、身体の表面がゾワゾワとしてしまったりするのは、やっぱり一般的な感覚とはちょっと違うのだろうか?
そんなこんなで、自分のDNAのルーツを改めて思い返してみたことを書かせていただきたいと思う。
◇
私は幼かった頃、父方の祖父母と同居をしていた。
私の両親は、母の病という重い宿命を抱えていたので、娘の私をそこまで深くかまうことが出来なかった。
そのことを懸念していた私の父は、自分の両親、私からいうと祖父母との同居を決め、ひとり娘だった私は、ひとつ屋根の下に暮らす祖父母の愛情も一心に受け育った。
祖父の方は既に他界している。
そのような流れから、私のことを溺愛してくれていた祖父が、もう本当に「ザ・侍」みたいな人だったことを思い出した。
そんな祖父は元自衛隊員。
北国の駐屯地を、家族共々転々としていた時に祖母が授かって、そして産まれたのが私の父になる。
強靭な精神力と岩のような頑固さ、そして突き抜けた真面目さで生きていた、昭和の時代を象徴するような男だった私の祖父。
そんな若かりし頃の祖父は、思わず二度見してしまうほどの、とんでもなく美しいリアルフェイスの持ち主だった。
いつも難しい表情で過ごすことの多かった私の祖父が、初孫である私と接するときだけは、目尻をこれでもか!と下げまくり、いつでも優しく見守ってくれていたことを、今でもよく思い出す
そしてそして、そんな祖父の遺伝子を間違いなく受け継いでいるのが私の父、そしてこの私自身、ということになる。
◇
こうして自分のDNAのルーツを改めて書き出してみたら、私の根底にある気の強さ、そして一度貫くと決めたのなら、何があっても挫けずに貫こうとするところ、これらの自分の特性に、すとんと納得がいった。
そのような父方の遺伝子、プラス私の母方には、統合失調症の遺伝子がある。
その双方が掛け合わさっちゃってんだから、そりゃあ私のような、珍妙でカオスな人材が出来上がるわけだよな~、って、自分で自分のことをそう思った。
…………。
白鵬さんのお話しを書こうとしているのに、話しが私自身のルーツにズレてしまった。
ここまで書いてきた私の父、そして祖父の二人に共通していたことがある。
それが、大のお相撲ファンだということだ。
今回の生ライブを観覧させていただいた三名の方々、松重豊さん、デザイナーの篠原ともえさん、そして白鵬さん。
それぞれの方に、私が持っているものと通ずるものがあった。
勝手なこじつけなのかもしれないけど、やっぱり私は今回何かしらに導かれて、何らかの気付きを得るために、このイベントに参加する流れになったんじゃないかな~?なんて、考えたりもした。
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本題に入る前なのに2000字に到達してしまって、いつものことながら今、自分で自分に驚いている。
白鵬さんの登場
いよいよ白鵬さんが登場されたときのことから書こう。会場の雰囲気はこんな感じだった。↓↓
残念なことに、公演中は写真撮影が禁止だったことから、ご本人の姿を写真に収めることが出来なかったのだけど。
もう本当に白鵬さんは、体がとにかく大きかった!!!(語彙力ない笑)
既に引退をされていることから白鵬さんの髪型は、すっきりとした短髪のツーブロック。
ビシッと決めた紺色ストライプのスーツがとっても上品で品格を感じさせる、本当に素敵な方だった。
意外だったのは、笑ったお顔が非常にチャーミングで、まるでそれはバッティングセンターのピッチングマシーンのように、お話しが次から次へと息つく間もなく飛び出してくる方だったってこと。
話し口調も穏やかでそして優しくて、生きるか死ぬかのトップレベルの男の戦いの場を、何年にも渡って生き抜いてきたような方には、とても思えなかった。
そして何より、お相撲以外の知識も豊富な白鵬さん!
まさに私自身が今課題としている「知見の広さ」ということはこういうことを言うんだろうな~って、それを肌でビンビン感じまくった。
相撲部屋に入門時の白鵬さんは、体重が確か62キロだったとおっしゃっていただろうか。
細っこいひょろっとした青年だったそうで、ご自分で『あの頃の自分はもやし少年でしたね。笑』そうおっしゃっていたことが、とても印象に残っている。
では、そんなもやし少年だった白鵬さんが、一体どのようにして歴史に名を残す大横綱にまで上り詰めたのか??
焦らずに一本の型を極める
白鵬さんの強靭な精神力のベースとなったのが、約二年半に渡った下積み時代だったとおっしゃっていた。
その頃の稽古の記憶を、今でもよく思い出すのだと白鵬さんは言った。
稽古が終了すると、毎回毎回口の中で血の味がしたのだと言う。そして鏡を見てみても、口内の出血は、目視では確認出来なかったのだと。
その当時は、その不思議な現象のことを深く考えてはいなかった白鵬さんだったが、何年もした後に知人の方にその話しをしたところ「白鵬さん、それはね、肺の毛細血管が切れていたんだと思いますよ。」そう言われたそう。
つまりは白鵬さんは、肺の毛細血管が切れるほどの過酷な稽古を、来る日も来る日も繰り返していたのだ。
このお話しを聞いた私は衝撃を受け、もう何も言葉が浮かんでは来なかった。
今目の前にいる穏やかな白鵬さんからは、そのように過酷な下積み、そして現役時代を乗り越えてきたようなピリピリとしたムードを、微塵も感じなかったから。
白鵬さんのそのお言葉が印象的だった。
私も、毎日毎日狂ったように数千字の文章を、こうして深夜まで書き続けているけど、きっとこのことは未来へ繋がって行くなって、そう思えた。
あともうひとつ、印象的だったお言葉。
…………。
ずーん……
そしてジーン………
きのう記事に書いた枡野俊明さんも、同じニュアンスのことをお話しされていた。
やっぱり、焦らず基本をじっくり積み上げる。お相撲も、そして私が日々取り組んでいる執筆も、そこがいちばん大切なんだって思った。
そしてそして、最後、
「白鵬さんにとって、”強い”とは一体何だと思いますか?」の質問の答えも、私の中に印象深く残った。
”強い”とは覚悟を持って挑むこと、”品格”とは優しさ
ん………?
ちょっと待てよ。
「真の強さ」を持つ方というのは、皆同じニュアンスのことをおっしゃるんだな………そう思った。
本当の意味での”強さ”を持つ方は、白鵬さんのように、深い深い優しさを持っているんだって、私はそう実感している。
ただ強けりゃいいってもんじゃない。
弱い立場の方の気持ちにも寄り添える優しさを持っている人が、本当の意味での強い人なんだって、そう思う。
私自身も、自分のやるべきことをこうして積み上げて、その結果としてそのような人物になることが出来たら嬉しい、そう思った。
本記事まとめ
・いちばん強い人間は、いちばん努力しているもの。焦らずに、一本の型をじっくりと極めよう!
・強い、とは覚悟を持って挑むこと。
でも、ただ強けりゃいいってもんじゃない。弱い立場の方の気持ちにも寄り添える優しさを知っている人が、本当の意味での強い人なんだぞ。
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またまた内容が盛りだくさんの記事になってしまいました。
ここまで読んでくださってありがとうございました。また明日、おやすみなさい。
記事を読んでいただきありがとうございます☺️これからも真摯に文章を書くことを追求して行きます。よろしくお願いいたします!