見出し画像

「取り返しのつかなさ」に対するささやかな救済(矢田海里『潜匠 遺体引き上げダイバーの見た光景』を読んで)

主人公の吉田浩文さんは、祖父の代から潜水業を営む一家の三代目として生まれた。その意味では、彼は潜水士のサラブレッドと言えるかもしれない。

水中での動きには自信のあった吉田さんだったが、父親ははるかに速かったという。その父親が、「おめえのじいさんは俺よりも速えぞ」と言ったというエピソードは、まるで強さを極めようとする、格闘マンガの一場面を想起させた。

しかし吉田さんの人生は、「サラブレッド」という言葉のイメージからはかけ離れたものであった。いわゆる「下積み」から這い上がれる気配も見えず、父や祖父には到底追いつけそうにない状況の中で、彼は家の仕事から離れ、独立の道を選ぶ。だがそれはいばらの道にほかならなかった。

そこに引き寄せられるようにやってきたのが「遺体の引き上げ」という仕事だった。持ち前の技術の高さは関係者を唸らせ、遺族らに感謝されることもあった。だがその仕事につきまとうある種の過酷さは、吉田さんの精神と身体を次第に蝕んでいった。

脳裏に焼き付く死者の表情。損傷のひどい遺体を前にした時の恐怖。かろうじて心のバランスを保とうと、引き上げの現場で「笑う」吉田さんの姿は、周囲から奇異の目で見られた。不吉な仕事であるかのような偏見もあった。遺族から捜索費用を回収できず、借金はふくらんでいった。

そうした中でも、吉田さんは非凡な才能を発揮し続ける。警察がいくら探しても見つからない遺体を、吉田さんは「なぜか」見つけることができた。小学1年生の時、「人命救助がしたい」と作文に書いた吉田さんにとって、それは天職であったかもしれなかった。

死者やその遺族との関わりの中で、吉田さんは多くのことを学んた。「遺体に育てられた男」というのは、著者である矢田さんの表現である。やがてその仕事は、父や祖父と比較されることのない、彼独自のアイデンティティの拠り所にさえなっていった。

その後、東日本大震災が起こり、吉田さんらの暮らす閖上地区は巨大津波によって壊滅、多くの死者、行方不明者を出した。吉田さん自身も被災者となり、家族と共に避難所に身を寄せながらも、行方不明者の捜索に尽力することになる。

およそこのような流れで物語は展開するが、吉田さんの経歴を改めて振り返ると、まるで震災の発生を知っていた神様が、そこで吉田さんに役割を担わせるべく、あらかじめ準備をさせていたかのようにさえ思えてくる。

地震の発生、津波の襲来、その後の被災状況の描写は圧巻で、僕はただ、その場に立ち尽くすようにして読み進めるしかなかった。多くの人生が、避けようのない運命の渦に飲み込まれた。そして助かった人もまた、「誰もが取り返しのつかなさの中を生きていた」。著者によるこの言葉が、僕には強く印象に残った。

「誰もが取り返しのつかなさの中を生きていた」

この言葉は、被災者の置かれた状況、そこでの心情のありようを超えて、一種の普遍性を孕んでいる気がした。もちろん、震災がもたらした「取り返しのつかなさ」は、計り知れないものである。と同時に、本当は全ての人が、それぞれの「取り返しのつかなさ」の中を生きている。それが人生というものではないだろうか。

「取り返しのつかなさ」は、「かけがえのなさ」と表裏一体のものでもある。「取り返しのつかない」悲しみは、その対象が「かけがえのない」存在であったことの、何よりの証だろう。しかしそのような「かけがえのなさ」を、普段はあまり意識することなく生活しているのが人間というものである。だが僕はこの『潜匠』を読んで、そのことを改めて意識させられた。

物語の序盤、吉田さんは、遺体を発見できなかった遺族の姿を見て、「家族がみつからないということの取り返しのつかなさ」を痛感する。「この人は親として何か月ものあいだ懸命に息子を探し続けるかもしれない。いや、ひょっとするとこのまま一生浜辺をさまよい続けるのかもしれない」と。この部分は、吉田さんが震災の行方不明者を必死で一人でも多く引き上げようとする伏線にもなっている。

だから吉田さんにとって、遺体を引き上げるということは、死者の魂を救うことでありながら、同時に遺族の魂を救うことでもあったのだと思う。どちらの魂も、決してこの世をさまよい続ける必要のないように。それは、人生の「取り返しのつかなさ」に対する、ささやかな救済でしかないのかもしれない。だがそのために、彼は潜り続けたのではないだろうか。

最後に、著者である矢田海里さんは、僕の尊敬する友人でもある。きれいに収まる結末を用意しなかったのも彼らしいし、特に終盤、あくまで自分は悲しみの側、弱さの側に立つのだという、覚悟のようなものが感じられた。

全ての人間は文脈の中で生きている。文脈なき生は存在しない。しかしその生の文脈が語られる人間と、語られない人間がいることもまた確かである。そうだとすれば、ひとりの人間の生きる文脈を書き綴ることは、その人間の魂を救済することにつながるのかもしれない。

このセンシティブで難しいテーマを、よくぞここまで魅力的な作品に仕上げたものだと思う。矢田さんが優れた書き手であることは知っていたけれど、この完成度には驚いた。大いに心を動かされた。よくぞここまで、吉田さんの記憶の海に潜り、彼の人生の文脈を拾い上げてきたものだと思う。

冒頭からぐいぐい引き込まれ、最後まで一気に読み切ってしまった。いずれ、ノンフィクションの金字塔と呼ばれるようになる作品だと僕は思う。



この記事が参加している募集

読書感想文

いつも応援ありがとうございます。いただいたサポートは、書籍の購入費に充てさせていただきます!!