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毎日。今を存分に噛み締めながら、生きていこう。#27


明日のこと。1年後のこと。10年後のこと。
昨日のこと。1年前のこと。10年前のこと。


日々頭をめぐるのは、どうやっても先がわからない未来のこと。どうやっても変えられない過去のこと。


理想の未来を考えてワクワクするのも、
過去を振り返ってあの頃は良かったなんてノスタルジーに触れるのも、
そんな時間もいいもんなんだけど。


でも、一番後悔するのは、「今」を大切にできなかった時。
それは、「今」わかるんじゃなくて、ゆくゆく振り返った時に気づく。
あれ、あの時何してたんだっけ?って。
いや、何してたかは大体わかるけれど、「何を感じたか」は「今」を噛み締めないと絶対気づけないこと。そして、行動は記憶できるけれど、感情までは記憶できない。


ここ1年ぐらい。過去の出来事から当時の感情を思い出すことをしていた。けれど、至って普通の1日だと思って捨ててきた感情、嫌すぎてなかったことにした感情はたくさんあった。中学生ぐらいからかな、よく分からなくなってきたのは。


「今」をおざなりにする積み重ねは、だんだんと自分自身のことも分からなくしていった。だから、「今」を噛み締めた分だけ、自分のことが分かると信じている。



そういえば、私が小学生の時の担任。
親の次に自分のことをよく見ていた大人。
思えば、今を大切にする人だった。



先生はよく授業中に雑談を挟んでいた。「あ、○○といえばさ〜、」と。

先生の話は、腹を抱えて笑うほどの楽しい話があったり、時に重くてしんみりとした話の時もある。でも、とても大切なことを教えてくれた。


気づけば授業は終了。先生もクラスメイトも、雑談に吸い込まれ、皆その瞬間に全力で心を研ぎ澄ます。時間が経つのを皆、忘れている。


おかげで私のクラスの授業の進捗は、他のクラスよりも大幅に遅れをとっていた。歴史の授業はどのクラスも昭和までいっていたけど、私のクラスは江戸の中頃あたりで終わり、小学校を卒業をすることになった。(そのおかげか中学以降歴史にはついていけなかった)


雑談が始まるきっかけは、授業を進めているうちにふと思いついたことから。あるいは生徒たちの発言から。

今思えばその瞬間にしか生まれないものを、先生は敏感にキャッチして、授業を進めることよりも、「今楽しい」と思えることに注力していたんだろうなあと思う。歴史の授業よりも、大切な今を。


運動会やスポーツ大会が近づいてきた時は、「授業なんかやっている場合じゃない!練習しよう!」と時間割を無視して運動場へ行った。
確かに、今やらなければ運動会で後悔するかもしれない。授業なら運動会が終わってからもできる。


生徒達が喧嘩をした時も、授業を潰してでも、納得がいくまで両者で対話をさせた。
時間が経てば感情はおさまる、なんてよく言う。
けれど、感情は時間でおさめちゃいけないのかもしれない。
おさめてしまっては、また次に同じようなことが起こってしまうかも。


どこまでも、今を大事にする先生だった。
自分自身がよく分からなくなる前の小学生の私は、確かに先生のおかげで今を噛み締めていたのかもしれない。


今にばかり目を向けていたら、本来決めた目標を見失うこともあるかもしれない。でも、その目標を「今の自分」はどう感じるのか?
それは常日頃、できる限りの頻度で見直していくことが大事なのかもしれない。


今日の自分は立てた目標にあまりしっくりこないと感じたけれど、明日の自分はやっぱりこの目標で良かった!と思えるかもしれない。
それなら今日は目標を一度横に置いて、今心地良いことをする。
明日かもしれないし、何日か先かもしれないけれど、目標に気が向いた時に、また始めてみる。

結果として、そんな生き方を長い目で見て振り返ったら、どの日も自分の心に従って心地良く行動できた、と肯定できるかもしれないなあ。


大切なことは、「今」にあるのかもしれない。
今日も明日も明後日も、「今」を大切にしていこう。

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