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個別最適化学習とはなにか?

子どもの頭の中、
のぞけたらなんの苦労もしないのかもしれない。
でも、できないからこそ、
みんなが悩む。

授業中固まる甥っ子。
何を聞かれても、喋らない。
困り果てる先生。
でも、喋らない裏に何かがあるはず。
固まる教科は決まっている。
国語、道徳、図工など。
あとは、4月の最初の自己紹介も。

「何でもいいんだよ」
その言葉が困惑させているのかも。
「好きに書いていいんだよ」
好きに書いても指導される。
「自由に作ればいいんだよ」
でも、その自由の全てを受け入れてくれる訳ではない。
難しいね。

何を考えているんだろう。
黙っていて、楽しいわけがない。
苦しんでいるんだろう。
でも、その理由を見つけなければ、
ずっとこの状態が続く。

学校は何をさせたいんだろう。

先生が導くやり方で作品を残せても
それは学びになっているのか?
無理矢理やらせて力になるのか。
なるかも知れないけど、費用対効果は低いだろう。
もっと効果的なやり方があるはず。

図工の「コロコロガーレ」
この単元の目的は何だろう。
子どもに何を身につけさせたいんだろう。

日本文教出版の題材別カリキュラム・評価規準例の目標には以下のように書かれている。

ビー玉を転がしながら、表したいことを見付け、形や色などの感じを捉えながら、材料や用具の使い方を工夫して、楽しいコー スをつくる。

https://www.nichibun-g.co.jp/textbooks/zuko/download/r2/r2_zuko_nenkei_hyouka_34ge_1910.pdf

ピタゴラスイッチなどが好きだった甥っ子だが、一向にやろうとしない。
学校では、作る前に完成図を描くらしい。
なので、家に持ち帰り、やっとの思いで紙に描いたけど、学校に持っていこうとはしない。話を聞いていると、タブレットでやるらしい。紙ではダメだという。

さて、ここでタブレットでやる重要性はどの程度なんだろう。
個別最適化学習とは何だろう。
疑問がよぎる。

ICT、GIGAスクール構想などと言われて、端末を使っての授業を進めていかなければいけないことは分かるが、子どもが本来もっている創造性や興味関心を削っていては意味がない。

タブレットでもできるよ。
紙でもいいよ。
頭の中での構想でもいいよ。

やり方なんて人それぞれなんだから、どれでもよい。
なのに、「このやり方でやるんだよ」とレールをひくと、そのレールに乗れない子はつらい。その子だけ、別のやり方にすると「できない」というバイアスが掛かる。だったら、「このやり方もある」「こういうやり方もある」とはじめにやり方を教える必要があり、そこから子どもが選択できれば「できない」ではなく「これを選んだ」になるのではないか。

自由な選択がない授業なんてつまらない。
言われたことだけをきっちりやるなんて創造力が育たない。

今、求められているのは本当に必要な学びを教員がしっかり学ばなければいけないことのように思う。

授業中、教室の中で黙りこくり固まる甥っ子。
本当の意味で彼の感情に目を向けている人はいるのだろうか。
誰の手だって借りればいい。
親と子は別物。
彼の気持ちにどうしたら寄り添えるのだろうか。
まだまだ、悩みの日々が続くだろう。

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