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結婚 転機のはじまり

” 結婚しない ”


それが、わたしなりの家族への意思表示。  

抵抗。
  
 
しかし、30代も半ばにさしかかろうとしたころ、
 
 
第3期ともいえる
結婚ラッシュが周囲でみられた。
  
おそらく、わたしが知る限りの最後のラッシュ。
 
 
 
だから、
自分で自分の人生のレールをしく
 
 
と決めたわたしでも、
 結婚にまったく興味がなかったわけではないし、
 
結婚をまったくしたくない
 
 
というわけでもなかった。
 
 
 
 
 
 
子どもは欲しい

と思ったし、
それも自分に課せられた
ミッション
 
 
 
 
それは、知らない間に
 わたしのなかに刷り込まれ、
 
ある意味、
わたしそのもの。
 
 
 
 
 
 
ただ、ありがたいことに
 
30代のわたしは、仕事はすこぶる順調だった
 
 
 
どんなふうに学生さんに伝えたら良いだろう
 
ここは、こんなふうに伝えたら、考えてもらえるだろうか?
 
この学生さんには、ここを学んでほしい!
 
 
 
 
もはや、仕事ではなく
趣味のような感じで、
楽しくて楽しくてしょうがなかった。
 
 
学生さんとの関わりを通して一緒に学ぶ
 
という感覚。
臨床の看護師はもちろん楽しかったが、
学生さんの新しい目はわたしに驚きと喜びを与えてくれた。
 
刺激的ともいえる日々
 
 


 
ただ、気がついたら朝から夜中まで
 
土日の休みも、あまり関係なく仕事漬け。
 
 
 
もちろん、楽しいことだけじゃない。
 
しんどいこともある。
 
 
今まで感じたことがないストレス。
 
 


 
元々、愛想笑いが得意
  
人に合わせることも、
そんなに苦ではない
 
 

幼いころから、
周囲の様子
人と人との関係を見ながら、
 
どう自分が振舞ったら良いのか
機嫌を損ねないのか
自分の立ち位置を考えながら



言葉を発する
動く
 
 
そんな術が
染みついていた。
 
 
 
 
 
でも、この時ばかりは
 
自分で自分がわからなくなり
どうして良いのかわからなかった
 
 
というより、
それをしていたら、
さらに自分で自分を苦しめている


それだけはわかっていて。
 
 
 
 
 
もう、
いつ笑った?
いつ泣いた?
 
  
・・・・・・いつか、だな。
 
 
 
 
そんな状況でも、
婚活は真面目に続けていた。
  
 
ここまできたら
親への後ろめたさもあったんだと思う。
 
 
親のため
 
 
親を安心させるため
 
 
 
両親からお願いされて、
結婚相談所に入った。
 
 
 
 
 
ただ、この生活もそろそろ終わり。
 
何となくわかっていた。
気づいていた。
 
 
 
 

楽しいながらも
 
 
“ 自分 ” というものを感じることが
どんどんできなくなっていった。
 
 


病院には行かなかったものの、
行ったら診断はされただろうな。
 
 
“ うつ ”  もしくは、 “ 適応障害 ” あたり。
 
 
 
 
この生活に終止符を打ちたい。
終わらせたい。
 
 
でも、その方法がまったくわからない。


つづく。

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