解説 ヴァルター・ライナー 《コカイン》

 《コカイン》はドイツの詩人ヴァルター・ライナーによる、一九一八年に発表された自伝的中編小説である。
 かれがいきたのは、いまからおよそ百年前のドイツであり、表現主義芸術の現場であった。表現主義とは、あえてその概略を紹介するならば、一九一〇年ごろから二〇年代初頭までのドイツにおける前衛的な芸術の傾向であった。そして、表現主義は「近代の終焉」との遭遇のもとでうまれ、その渦中のなかで死んだ「病める」芸術だった。産業革命以降、世界は急速に変容していった。科学技術の発展は人間の個性を軽視し、人間精神を崩壊させていった。科学が新しい世界のみかた——真実となり、精神的なものをみえなくさせてしまった。そして世界大戦前夜の不安定な世界に蔓延する不安と絶望——そういった社会的精神的状態が世の中を圧迫していた時代に、「近代の終焉」の危機に気づいた若者たちは、それを語らなければならない使命を負った。表現主義は、世界の閉塞感を嘆き、人間回復を願い、精神をよびさまそうと叫喚する、若い世代の芸術家たちによる精神運動だった。
 ライナーもそのような若者のひとりであった。病んだ時代に、かれもまた病んでいた。ライナーの創作時期は、すでに表現主義者たちの夢がはかなくも果たされないまま、その潮流が時代の渦に巻きこまれ消えゆく時期ではあったが、かれの作品は表現主義的であった。ライナーは生前に八十篇ほどの詩といくつかの散文、そしてこの《コカイン》を残したが、その詩人の名前は過去にうもれたまま、忘れ去られていた。日本において、ライナーとかれの作品が紹介されたことは、いままでになかっただろう。ヴァルター・ライナーという人物は、いったいどのような人物であったのだろうか。

 ヴァルター・ライナー(Walter Rheiner)は、 ヴァルター・ハインリヒ・シュノーレンベルク(Walter Heinrich Schnorrenberg)として、一八九五年三月十八日にケルンでうまれた。実科学校に通い、リエージュ、パリ、ケルン、ロンドンの銀行で働いたが、ホワイトカラーとしての道をあきらめ、詩を書きはじめた。一九一四年、はじめてかれはベルリンで暮らし、詩人や芸術家、ボヘームらがあつまっていた《カフェ誇大妄想》と呼ばれる《カフェ・デス・ヴェステンズ》にみずからもボヘームとして出入りした。その年にかれは麻薬の服用をはじめ、薬物依存を装って兵役を免れようとした。だが世界大戦勃発とともにロシア前線に徴兵された。かれはコカイン中毒になり、一九一六年にはケルンで薬物治療をおこなってふたたび前線にもどるも、一九一七年に、薬物使用をもって疾患と偽り兵役拒否した罪で逮捕された。かれは事実審理にて自己弁護をおこない釈放されて、ベルリンへ移った。その年にライナーはユダヤ人のフレデリカ・オーレと結婚し、ふたりの子どもがうまれた。
 一九一八年から一九二一年、かれは主にドレスデンで活動し、この期間はライナーにとって文学的に成功した時期となった。コンラート・フェリックスミュラーが招集した表現主義の芸術家集団《グルッペ一九一七》の主要メンバーになった。ドレスデンの《メンシェン》誌やフェリックスミュラーが主催する《ドレスデン出版一九一七》などで編集や執筆をして食いつなぎ、その期間に七冊の本を出版した。
 二十年代にはモルヒネ依存がはじまった。一九二四年には禁治産宣告を受け、ボンの閉鎖病院で入院した。最後の年、一九二五年にかれはふたたびベルリンへ移ったが、赤貧と薬物依存により放浪生活をくりかえしていた。一九二五年六月十二日にモルヒネの過剰服用により死亡した。

 《コカイン》は、ライナーの運命がえがかれた自画像だ。主人公トビアスはかれ自身であり、その悲劇的結末は、まもなくおとずれる自身の死を予言していた。あるいは、この中編小説は、ライナーの苦悩が綴られた遺書であろう。
 そして、《コカイン》は、ひとりの詩人の病の独白であると同時に、大都市が患う病の記述でもあった。《黄金の二十年代》前夜の大都市ベルリンもまた病んでいた。街を彩る人々や往来、毎晩のパーティ——それらは不自然に煌びやかで、退廃的でいて華々しく大都市を飾っていた。大都市がうつしだす光景は、まるで街に蔓延る終末情景をみてみぬふりをするかのようだった。《コカイン》において夜のベルリンが、かれの鬱々とした不安感とは対照的にえがかれることによって、ライナーの大都市への憧憬だけではなく、表現主義的世界観の終末情景とは相反する、時代の波に身をゆだねる大衆がつくりだした虚飾に対する懐疑がよみとれる。黙示録的な世界を嘆く表現主義者たちのひとりとして、ライナーは、大都市の幻想をみやぶり、世界をまっすぐにとらえていたのだ。偽りにまみれた大都市のなかで、かれは被害妄想に取り憑かれ、正常な判断能力が欠け、挙動不審であっても、ほんとうの意味で正直だったのだ。ヴァルター・ライナーの《コカイン》は、麻薬文学としての奇抜さばかりではなく、時代の様相をなまなましく伝える記録としての意味も多分にもっている。

 およそ一世紀前に表現主義者たちがまのあたりにした「近代の終焉」は、いまもなおつづいている。いや、むかしよりも加速しているとさえいえるであろう。現代人はきっと忘れてしまったかもしれない、およそ百年前、若者たちが人間精神をとりもどそうと叫んでいたことを。われわれは、その叫びをきき、瓦解してゆく世界のなかで、「近代の終焉」の危機をおもいだす必要がある。この《コカイン》の翻訳によって、ライナーの嘆きと叫びが、時代を超えて、国を超えて、現代にいきるわれわれに届けばよい。

 〔本書は、プロジェクト・グーテンベルクに収録されている 《Dresdner Verlag von 1917》の《Kokain》に拠る翻訳である。〕

 二〇二二年 十一月                            灰村茉緒

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 本文は、灰村茉緒が翻訳したドイツ表現主義の詩人ヴァルター・ライナーによる小説《コカイン》に収録されている《解説とあとがき》である。《コカイン》は、第一章から第九章で構成され、2022年11月に、全編および解説を収録した書籍が出版される。第一章は、本文《解説とあとがき》と併せてnoteに記載している。

追記 2023年11月1日
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