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宇宙一尊敬する祖母が死んだ話②

仏壇の前に静かに眠る感じで
横になっている祖母の枕元で
弟と思い出話で盛り上がっていたところに
父が帰ってきた。

父は
「あんた ホンマよう頑張ったのうぉ~」
静かに一言だけ。
涙はなかったが、父の真の言葉だと
私と弟は感じた。

父の背後で
実は父のように祖母を労った言葉一つも
祖母にかけることができなかった
自分たちの不甲斐なさに
恥ずかしくなり こっそり
きまりわるそうに 弟と目を合わせた(笑)

生前は厳しい祖母だったので
父も文句ばかり言っていて、
なかなか素直になれる機会が
なかったのであろう。

そんな少し淋しそうで
でも、やっと素直になれた
父の背中を見て
私と弟は
何だか嬉しくなり、
温かい気持ちと同時に
恥ずかしい気持ちが湧いた。

弟は要領がいいので
兄と私のように父とは
不仲ではないのだが、
弟は弟で分家という
父から切り離されたような
実家に居場所がないコンプレックスがある。

兄と私は、
父には役立たずのレッテルが
貼られているので
(父は子供を奴隷や人形のように扱う)
父に対する反抗的な複雑な思いがある。

正直、祖母がいなかったら
とっくに両親とは縁を切って
いたであろう。

私と兄は祖父母を大切に思うが故
渋々両親とは繋がっていた。。。

でも、結局 祖母が
それを全て払拭させてくれ、
最後の最後まで(死をもって)
私達を親子を繋いでくれた。

兄はこの父の姿を見てはいないのだが
父は祖母の死を機に
少し変わってきているように思う。

父も祖母は死なないと思っていた一人だ。

施設に入ってすぐに
祖母はすぐに体調を崩し
危篤状態になったことがある。

とてもパワフルな人だったのに
一時期 見た目はほぼミイラ
のようになっていた。
そんな時でも、お見舞いに来た
私のこと、ひ孫の事を気遣っていた。
病院からは覚悟しておくよう告げられた。

どうせ覚悟するなら、
最後は快適に過ごせるような
終末医療の病院を探し、私は薦めた。

実家から通うのも近いし、
祖母の故郷に近く、
海も見えてとてもいいところだ。

転院して間もなく、
祖母はみるみるうちに回復していき、
いつものお口達者な
パワフルお祖母ちゃんに戻った!!!

これ以上は終末ケアはできないと
病院を出されてしまうほど
元気になった💪(笑)
ミラクルかよ😊

やっぱり お祖母ちゃんは
ただ者じゃない、
こりゃ、永遠に死なないなぁ~。
私達全員看取るんじゃない?と
元気になった祖母を囲んで大笑い。

離れた所に住む叔母も
お別れのつもりで
何度か新幹線に乗って
祖母に会いに来ていたが、
来なくなった(笑)

とにかく 祖母はスゴイ!!!
祖母自身も
「人ができること自分にできない訳がない」
と何でもやっていた。

とにかくパワフルなので
海から山からと幅広く
年中動き回っていた。

父が小さいころは
豆腐やところてんなどを作り行商。
自営業で船の運輸業を開業したことから
夫婦で船乗りにも。

時系列は私もうろ覚えだが、
従姉妹を預かり育てたり、
その下の従姉妹を
背負って山に松茸狩り、
磯に牡蠣やワカメ、ひじきを採りに
に行っていたようだ。

その従姉妹はかなり大きいタイプで
まあまあ体重があったらしい。

当時は山の奥まで畑が切り拓かれた
山道だったといえ、
私も何度かその山に行ったことがあるが
子供を背負っていくような道ではない💧

父が跡継ぎになり、母が嫁いできて
兄が誕生して間もなく
(オムツ取れないころから)
祖父母は孫たちと暮らす。

やんちゃで手に余るような孫たちを育てながら
その時も、祖母は小さな日用品店を営み、
夜明け前から畑仕事、
合間に
春はタケノコとり、
夏は味噌づくり、
秋は松茸狩り、大量の干し柿作り
冬は餅つき、しめ縄づくり、
編み物、はんてん(綿入れ)、浴衣つくり、
正直これらはホンの ホンの一部。
とにかく毎日何か忙しく作業をしていた。

私が忘れられないのが
クリスマスエピソード。

クリスマスの概念がない祖父母は
クリスマス行事をしたことなかった。

何かと新しいもの好きの兄は
クリスマスツリーをせがむ兄に応えて
山からもみの木を切ってきて
ちょっとさびたバスクリンの缶に
土を入れて 木をぶっ刺して
ちょっと怖い微妙なサンタの
オーナメントを飾ってくれた。

ちょっと幼稚園のと違う。。。
と複雑な気持ちを抱きつつ、
クリスマスケーキを食べた覚えがある。

今は あのクリスマスツリーが
人生で一番最高だったと 
兄と話す(笑)

毎日忙しくしていたのに
厳しい人ではあるが、
弱音、他人の悪口、陰口、愚痴を
一切言わなかかった。

私達に育ててやってるとか
恩をきせることも一切なかった。

多くは話さなかったが
戦時中も色々あったみたいだ。
しかし、
とにかく心身共に強い人だった。

父のちょっとしたおイタ疑惑で
母が出ていくと言った時、
祖母は
「あんたが出ていく必要ない。
 堂々とここにおったらええ。」
ときっぱり。

正直、嫁姑関係は良くなかったが。
いつも母が一人騒いでるだけ。

祖母は
母から嫌われていることを知りつつも
①でも記したように
命に区別をしない人なので
息子だからというだけでは
かばったりしないのだ。

とにかく 祖母は 
マジで 超カッコイイのです!!

残念ながら身近で
ここまで身口意が一致した人は
祖母以外で出会ったことがありません。
必要以上に否定をしないのです。
それをそうとして受け止めるのです。

祖母は愛そのものの体現者でした。

愛とは本来 無条件で無償なんです。
ポジティブもネガティブも区別がないのです。

言うことをきくとか、いい子とか、
役に立つとか、迷惑をかけないとか
だけではないのです。

一方だけを求めるのは愛というには
あまりに不完全です。

自分の都合の良いことばかりに囚われていると
常に不足を感じ、今を否定することを意味します。
幸せの奴隷になってしまいます。

何があっても、どう在ってもいい。
自分も他人も世界も全て否定しない。
これが本来の愛に生きる姿だと
祖母の生き様で教えてもらいました。

宇宙一尊敬する祖母は死んだ。
でも、私や家族を今でも繋いでくれています。
そして、本当に幸せです🍀

ーおまけー
兄はオムツが外れていないころから
祖父母と共にいたこともあり、
完全なおじいちゃん、おばあちゃん子だ。

兄は未だに 淋しく
祖母に何もしてあげられなかったと
後悔している。

全て最適であるので
ただ見守るだけだ。

いつか兄も全てが最善で完璧であることに
気づく時が来ると思う。

最後までお付き合いいただきまして
ありがとうございました。















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