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天国か?(無間)地獄か?

進撃の巨人アニメも
10年という時をかけ
とうとう完結してしまいましたね( ;∀;)

作者 諫山 創 氏をはじめ
スタッフ全員の妥協なき秀作。

原作から新たなスクリプト。
これは観るしかないでしょ(笑)

たくさんの考察が
既にされているので
ここでは内容に対する考察は
特にしません。

ただ、人類はどこに向かうのか?
どうして闘わなければいけないのか?
について 記述します。

こんなにも平和が望まれているのに
なぜ 闘いが終わらず
平和な世界は訪れないのか?
誰も悪くないのに…
疑問に思いませんか?

みんな 信じ助け合えば
簡単に平和になるのに…
なのに、それができない。

見える世界は恐怖と執着が無限で
終わりのない絶え間ない
無間地獄なんです。

実は
どんなに頑張っても
どんなに成長しても
どんなに裕福になっても
どんなに他者からの承認があっても
欲望は終わらないのです。

ユートピア(豪州 / 2019)

というショートフィルム作品、
ご存知でしょうか?

20分も満たないのに
とても端的かつ明快に
表現されていますので
お時間が赦すなら
ぜひご覧下さい。

ラストがしびれます。

人類は外に平和を求めるほど
地獄に向かっていくのです。
パラドックスです。
面白いですよね♪

パラドックスの起点は自分です。

自分という存在の認知が起こることで
同時に自動的に闘いが生じます

自分の環境をよくしたい。
自分を高めたい。
自分を大切にしたい。
自分の家族を、自分の国を、地球を…
の延長線上に他者との闘いが起こるのです。
反対も然り。

自分の存在を認知すると同時に
取り巻く他者、世界、価値も
同時に起動してしまいます。
外の狭い価値に合わせることで
自分の世界は歪みます。

つまり
自分がある=苦しみ=闘い
となっているのです。

だからといって
自分をなくすことは
自発的にはできません

何故なら 本当は自分など
いないからです。
だから
悟れる誰かもいないのです。
絶望的。
頑張って悟りの境地とかないのです(笑)
何かが何かになるという変化も。

すごぉーく 自然に
自分などいないのです。
同時に他者もいないので
読者である 
あなたもいないことになります。
変化できる誰かも世界もありません。

何もないから
消すことなど無理な話なのです。
分からないのです。
分かち得ないのです。

自分を守ろうとすることとは
自動的に闘いを意味するのです。

自分とは常に闘っているのです。

実は 楽しい、幸せと感じる
時でさえ 執着という
それを失うかもしれないと
知らず知らず
可能性と闘ってしまうのです。

しかも
上記の通り、自分感を
自発的に消すことも無理なのです。

自分=自ら分かつ は
既に 今
自分などなく
分かたれたことなどなく
自分がいる感じが
勘違いで起きているだけだから。

残念ながらどうすることもできないのです。

消す自分がいない
同時に
消す他者、世界などない。
と 闘い続けています。

消せないのに消そうとする
消そうとするほどに
自分感は強まる
闘い…


これが
幻想の自分という天国、安住の地を
調える対処(成長、教育、戦争)するほどに
無間地獄に陥る
ましてや、どうすることもできぬ
選択できない 主体すらない
無力という絶望 ((´∀`*))ヶラヶラ

絶望ですか?
そう!!!
絶望なんです♪

しっかり 絶望してください。
そして 
しっかり 諦めが起こるといいですね。
スッキリしちゃってください。

ここでは こうすればという
方法論は出ないのですが、
絶望の先のある一つご案内です。
(※本質的には自分はないので
  時間も人生も先もないのですが
  文字と表現の便宜上)

どうすることもできない(諦め)とは
実は
=どうあってもいい
 どんな表現も既に全受容されている
=自由(選択肢)な世界
=全てが平等の現われ、
 違って見えるけど同じ価値(優劣なし)
とも言えてしまうわけです。

つまり、
自分をなくそうとする必要なし。
起こるままに表現が起きたらいいのです。

表現も自由
解釈も自由
価値も自由
環境も自由

自由なら 他の領域を犯し、
犯され奪い合いが変わらず
起こってしまうかもですね。

それも自由なんです。

デモ
何故か分からないけど
自分の起こるままに自由に
表現していくが起こると
他の領域を犯し合うことが
必要なくなるのです。
自分=他者となり 
自分のように大切にし
大切にされるが起こるからです。

自分と他は分かれてなく
共有的な一致が起こるからです。
奪い合う人との出会いがなくなったり
どんな現われ、感じで起こるかは
分からないのですが。
思うまま正直に表現することで
受け入れられるが起こるのです。
受け入れられなくても問題はないのです。

「分からない」←ここポイント

自分はどうしても
恐れから根拠、証拠を欲しがる。
コントロール、支配は
怖れの象徴。

例えば、何かすることでの
価値という対価、賞賛。
これは条件付きなのです。
ありのままを認めていない。

条件が整わないと認められない。
時間がないと
お金がないと
愛されないと…

一方
分からないに寛ぐが起きると
外の環境がどうであれ
内に勝手に平和が起こってくるのです。
外の根拠、証拠、条件など
何一つ要らなかったということです。

自分という内外に境界がなかった
自分も世界も誰も何もなかった
分離がないので時間すらない。
同時に「無」も無いので
自由自在で どうあってもよい♪

「なぜ?」のない
自由が拡がるという からくり。

自分がある感じが
闘いを生んでいた。
外との境界、抵抗なく
自由に自分を解き放ち表現することで
自由と静寂はすでにいつも ここにあった。

「ユートピア」のラストは
それを見事に表現されているのです。

怖れは 境界、抵抗感、壁
でも 実は壁は無かった(笑)

「進撃の巨人」の壁も
安住、平和を守るためのものが
結果的に闘い、破壊、奪い合いという
世界を狭めていく。
対立は対立しか生まない。

巨人が問題ではない。
闘いが問題ではない。
世界や社会が問題ではない。

既に 対立ごと 
丸っと全受容され ただ現れる
0であり∞であり
天国であり地獄でもよい。

怖さを全て受け入れるが起こった時
すでに 何もない。
ポカーン( ゚д゚)❤

分からない という
無間地獄ではなく
無間愛に寛ぎ、
ただ 分からないまま 
意味なく現れる実存は
絶対(対象の絶え、可能性の絶え)だった。

決まっているのではない
ただ 分からないのです。

最後までお付き合いいただきまして
ありがとうございました。






















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