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宇宙一尊敬する祖母が死んだ話          ~番外編~

祖母が亡くなって二日後、
主人の父も亡くなった。

実はその続きがありまして、
義父の死後の整理の為、
1週間ほど、主人は休暇を取りました。

その休暇明けに出社した日、
職場で一番 良くしてもらっていた
同期(年上)のNさんが出社して来ない。
いつも、早めに出社してくるNさん。

Nさんも当時、定期健診で再検査になったり、
入院したりとあまり体調は良くなかった。

ただ、独り身であり、
お酒が大変好きな方だったので
健康的とは言えないような
食生活だったようだ。

下戸の主人でなくとも
お店の人が驚くほどハイペースで
お酒を楽しまれていたようです。

休み明け 連絡が取れない…
体調の事を知っている
主人も会社も心配になり、
主人が様子を見に自宅に行くことになった。

この流れなので、
読者の方も薄々お気づきと思いますが、
自宅で倒れていました。

主人はすぐに救急車を呼び、
心臓マッサージをしたのだが、
発見した時には
もう既に息はなく、
かなり冷たい状態だったそうです。

ほんの数日前に感じたばかりの
なんとも表現しがたい 
独特の冷たさなので
主人は脈をとるため首に手を添えた
その時点で嫌な予感。

自分の勘が間違っていてほしいと
願いながら
心臓マッサージしたそうだ。

倒れた様子から
昨日の仕事後に帰宅して
すぐに体調を崩し、
そのまま亡くなってしまったであろう
結論が出た。

第一発見者として事情聴取もあったが、
事件性もないことから
そのまますぐに
独り身であったので
今は唯一の肉親であるお姉さんと
お姉さんのご主人が来られ、
コロナ禍ということもあり
少人数で
通夜、葬儀が行われ、お骨になって
故郷に帰られた。(他県)

生前
お互い再就職の同期であり、
独り身だったせいもあり、
余裕があるからと
主人は度々ご飯をご馳走になっていた。
同期なのに(笑)

Nさんは大変 物知りで、
専門知識が豊富だったのですが、
それがかえって少し災いして
少し社内であまりいい雰囲気にならなかったところ、
主人がクッション役となり
みんなと打ち解けることができたことがありました。

そのこともあってか、
ご飯に限らず、
知識も仕事も惜しげなく主人には
丁寧に教えて下さって
Nさんはホントに主人のことを
大切にしてくれました。

直接お目にかかったことはないが、
Nさんとのエピソードを聞くたびに
主人から主人が感じている以上の
Nさんの主人への思いやりを感じていました。

とても冷静で視野の広い方でした。
その優秀さが他者との溝を深めていたのも
事実ですが、
そこを恐らく初めて埋めようとしたのが
主人だったようです。
(主人はやんわりと人を繋ぐ才能があるように
感じます。本人は気づいてないようですが(笑))

Nさんは実家で一人 老後ライフを満喫しようと
休暇には帰省して
せっせと準備されていたので
それが叶えられなかったのは悔しいでしょうが。

まだ現役で最初に心開ける主人に発見されたのは
最適最善だったのではないかと
私は思っています。

コロナ禍、我が家は大切な人を
2週間で次々と3名もなくしました。

しかも直接コロナとは関係なく…

不思議でした…

こんなことってあるんだと…

世の中はこんなにコロナに
怯えている真っ最中。
私たちの大切な人は直接的にコロナが原因で
死んだわけではないのです。

この出来事を機に
私は改めて一つの答えに行きつきました。
それは、すべて自分次第。
起こることは運次第(笑)

同時に 何もコントロールできない、
お手上げということに。
起こることが起こるだけ。

世の中が
コロナにフォーカスしている中でも
他の病気、交通事故 諸々の原因は
なくならないのに
こんなにも世の中がコロナだけを
特別扱いし怯えるのか?

もちろん得たいの知れない感染症ということは
恐怖の一因であることは理解しています。
しかし、なんだか不思議で仕方なかったのです。

いつも思っていたのは
災害、戦争、エボラやSARSの時も
同じような状況、条件下であっても
なぜにその被害に遭う人と遭わない人がいるのか?

同じような境遇、病気であっても
乗り越える人とそうでない人が存在するのか?

だとすると
ワクチンや薬、環境、手段は
実はあまり関係ないのではないか?と
考えるようになりました。

そうすると
今までの世の中、親、大きな流れが
良しとすることに
改めて疑問が浮かびました。
というより
私の今までのモヤモヤが
一気に確信にかわりました。

外の世界の出来事に正解はなかったこと。
どんな天才でも正解を持ってないこと。

なーんだと 拍子抜けです。
これが正しいと教わり、目指してきたこと
強制されてきたことに 正解などなかった…
世界中で起こった現象だったからこそ
確信がもてました。

才能ある人、名誉、権威がある人が
声高にいい事と主張しようが
何も正解なんてなかったんだ Σ(・ω・ノ)ノ!
みんなが一致できることなんて何一つなかった。

同時に自分の人生においては
自分がフォーカスしている
ことが全てであること。
ただそれだけでした。
仕組みはとてもシンプルでした。

つまり、
これまでも これからも
自分は自分でしかいられないし、
他人は他人でしかいられない。

自分は何にも結局コントロールされなかったし、
他人をコントロールすることなんて
できないのです。

たとえ家族であっても。

では
「運」に影響受け、コントロールされている
と疑問を持たれた方もいるかと思います。

しかし、その運さえも実は自分次第なんですよ。
自分が納得すれば 解釈がいくらでも
反転するということです。

起こることを変えるのではなく
起こったことをいかようにも解釈を変える
ことができるということです。

起こる出来事は全てフラット。
ただ、その出来事に解釈を加えるのは
各個人次第なんです。

今回、大切な人を短期間で失った私たち家族が
不運で不憫に感じますか?
そう感じる方はその世界を選択しています。

しかし、私は
この大切な3人の死で
掛け替えのない大切な教訓を得ました。

それは 納得した人生を生きる!と。
損得、有利不利に振り回されることなく
今、ここで何があっても 
他人にどのように評価されようとも
自分が納得する今を選択する決意が持てました。
これは家族でも私だけかもしれません。
他の家族は家族で解釈は違うので。

少なくとも私は
何にも影響受けることなく
自由で無限の選択肢を持つことができたのです。

主人は父親、Nさんの仕事を大変だが
全て引き受ける覚悟ができたそうです。

つまり 何が起きようが
ありのままを赦し、受け取り、
自由に選択し、リラックスして生きる
ということです。
自分ができることを淡々とするだけなのです。

同じ出来事下にあっても
同じシナリオにならないのは
各々が 自分が自分である所以、
自分が自分で生まれた所以なんです。

同じ人生なんて二つとない。
全て唯一無二なんです。
一瞬も。

ただ自分を表現して生きてればよかったんです。
それは比較ができない。
有利不利など何も関係がなかったのです。

それを命を持って私に教えてくれた
3人の命は
感謝という言葉では表せない
無限の愛そのものです。

どう在り、どうするか、何を持つかは
全て自分次第。

他者から評価は何も関係ありません。
影響を受けるか受けないかも全て自分次第です。

そのことが完全に腑に落ちたら
反対に世界全てに壁がなくなり
いつだって分離など無く
既にずっと繋がっていることが理解できます。

だから、何が起きても問題など
一切 無かったのです。

私はこの件とかつての交通事故で
やはり 人は突然肉体がなくなるのだと
痛感しました。

死が怖いというのではありません。

改めて
今 ここに 存在することは
まぎれもなく奇跡なんだと。

制限の中に生きることも
無限の中に生きることも
全て自分次第でした。
同時に自分は全てであり、
かつ0でもありました。

面白い世界です。

最後までお付き合いいただきまして
ありがとうございました。
















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