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前回に続いて2回目

発達障害においては「福祉」と「教育」で捉え方が大きく違います。
保護者の方が悩み、子どものためにどのようなことをしてあげると良いのか?と悩んでいるほとんどが「教育的視点」で子どもの事を考えている場合でしょう。「福祉」の場合だと、ほとんどがどのようなサービスを受けることができるか?という情報がほとんどです。発達過程に居る幼少期や学童期の障害のある子どもたちがどんなふうに豊かに育っていくかを想像できないでしょうし、大きくなるにつれ悪化の一途。と思っている人がほとんどではないでしょうか?

例えば、公的施設で受けることができる「療育」はどんな効果があがってるのでしょうか?「ソーシャルスキルクラス」ってどんなことしているんでしょうか?それ「ライフスキル」やん!ってのを例に挙げてる人いました。指導している人が知識も自信もないんやから効果あがらんやろう?

って同様のことが特別支援学級でも展開されています。
「これってホンマに必要なことなんか?」って。
「これええんちゃうか?」って言ってたから・・・。っていうだけで
導入されていたりします。
あるいは、保護者の熱心な意向を聞くためだったり。その必要性の有無はさておき。

「書字」と言うことを例に取ってみましょう。
文字を覚えさせるために行うことがほとんどだと思います。
身体障害などが無ければ「書けるだろう」と想像する。
だから「どうやったらえんぴつで書けるのか?」とだけ考える。

でも、私たちはその前に「えんぴつで書ける準備はもう整っているのか?」と考えます。
「姿勢よく座り、適度に肩の力や腕の力を抜き、鉛筆を適切に持つことができるのか?」を先に見ます。

また、その子にとって「書くこと」が文字を理解したり、記憶したりすることに適切な方法であるのか?を考えます。そうでなければ別の方法を考えます。もちろん「書くこと」が他のことで必要であることも多いのですぐ「書くことをあきらめる」のではないのですが、それと同様に大切な認知能力を伸ばす努力や工夫も行っていきます。

だから不必要に「書かせたり、正解を導く」指導は避けます。
それよりも子どもたちが自らアウトプットできる学びをさせてあげたいと思います。積極的に、能動的に何かが出来た時 子どもの発達、成長を実感して嬉しくてしょうがないのです。本当に小さなことなのですけど、それを見逃さない自分で居たいと思います。

子どもが指導者の指示なくできることが増えたならそれは確実に子どもが獲得できたスキルであると言うことなのです。

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