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忘れてはいけないこと:2022年3月11日(いのちの日)

いのちの日は3月11日と12月1日。
12月1日にはこんなnoteを書いていました。

12月1日は厚生労働省が、自殺予防活動の一環として制定したいのちの日、
3月11日は東日本大震災が起きた日に命の大切さ尊さを考えるいのちの日。


今週は8日の火曜日の朝、一番お世話になった叔母が亡くなったとの訃報がありました。
昨年11月には一緒にお弁当を食べていて、仕出しの天ぷらを美味しそうに食べていた姿を思うと突然のことで実感がわきません。
でも、叔母の最期を看取った母と電話をしていると、「ああ、叔母はもうこの世にいないのだと」、子どもの頃に沢山遊んでもらった思い出がわき上がってきます。
叔母は87歳、寿命を全うしたと言えばそう言ってもいい歳かもしれません。


自分も歳を重ねると同時に周りの人たちも同じように歳を重ねていきます。
ここ2年のことですが、一昨年に父が他界する前から、世界を取り巻く状況も相まって、特に「いのち」について考える機会が多くなりました。

「諸行無常」
平家物語の冒頭文にも登場する仏教用語です。

平家物語では琵琶法師が琵琶の音にあわせて歌い出すので、「諸行無常」という言葉はもの悲しく、そして恐ろしく聞こえてしまうかもしれませんね。

諸行無常は「世の中のあらゆるものは一定ではなく、絶えず変化し続けているという真理」の言葉、変わらないものはなにひとつとしてありません。

そして、私たちはお互いに関わり合って生きています。
だからこそ、一期一会の出会いを大事にすること、何ごとも経験、知ること、学ぶこと…そうして変化し続けていくことで、なんとなくですが「生かされている私」を意識できるようになっていきました。

もし、亡くなった叔母がいなければ、私は夏休みの宿題はちゃんとやれなかったし、一緒に遊べる従姉妹たちもいなかったし、人のためになることをするということを学べませんでした。

こうして「いのち」はずっと変化しながら繋がっていくのだなと思うと、心から「いのち」尊く有難いものだと、日頃はすっかりと忘れがちなことを思い出すことができました。


3月11日のいのちの日。
ご遺族の皆様ならびに被災されたすべての皆様に、心からお見舞い申し上げまるとともに、多くの失われた「いのち」のご冥福をお祈りいたします。



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