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エモい部屋の個性

 都市空間の様相を収めた写真は世に溢れている。例えばおよそ100年前、新興写真家堀野正雄は近代化を遂げた都市東京を、関東大震災後の巨大近代建築を写真に撮ることで表現した。戦後日本は経済発展を遂げ、東京は超高層ビルが立ち並ぶ世界有数の大都市となった。堀野の写真はそのような東京という都市の性格をいち早く捉えていたと言えるだろう。では、現代の都市を捉えた都市写真はどのようなものなのだろうか。そしてそれは都市のどのような性格を表現してしまっているのだろうか。このレポートでは都築響一の写真集『TOKYO STYLE』(1993)を都市写真と消費という観点から述べていきたい。
 今や高層ビルのような巨大近代建築は世界のどの都市にも存在し、日本国内の各地方都市にも見られる。また、社会学者の宮台真司が言うには、90年代以降日本各地の風景がスーパー、パチンコ屋、家電量販店、消費者金融などのチェーン店で埋め尽くされて東京の国道「16号線的風景」化したということである(宮台, 2014: 54-62, 411-412)。たしかに東京の駅で降りても名古屋の駅で降りても、同じファミレスやコンビニの看板が目に入ってくることは想像に難くない。写真で都市の姿を捉えようにも今やそれは「16号線的風景」の全国化によって、ある特定の都市の風景ではなく日本の風景になってしまいかねない。
 『世界大百科事典』によると日本の都市化について注目すべきは、戦後1950年代末から始まる高度経済成長期の大都市圏への人口集中である。大都市圏における工業の発展によって地方圏の若者層が都市に流入し、1955年から70年のあいだには三大都市圏で約1500万人の人口増加を記録した。このように人口流入と大都市圏の成長が都市化の特徴であるが、負の側面としては人口過密と低水準の市街地の拡大,地価の高騰、格差の拡大などが見られる。また、大都市への人口集中が生み出したさまざまの風俗の中から、次第に都市固有の生活スタイルが定着し、地方とは異なる意識と行動が形成された(『世界大百科事典』“JapanKnowledge”, 2014)。
 ここで着目したいのは都市固有の生活スタイルである。1993年、雑誌編集者の都築響一が最初の写真集『TOKYO STYLE』を発表した。この写真集は東京に住む若者の個人の部屋を大量に撮影したものである。都築の言葉によると、「インテリア雑誌に出てくるような、おしゃれな部屋ではなく、東京で、狭く雑然とした空間でも楽しげに暮らしている人たちの部屋を撮影した」(都築, 2017: 152)とのことである。宮台の「16号線的風景」の全国化と合わせて考えると、都市の建築や道路などの外観よりも都市の住居空間に生まれた都市固有の生活スタイルが現代の写実的な都市風景であり、それを捉えた写真こそが都市写真と言えるのではないだろうか。
 都築は学生時代にアルバイトから始めて1976年から86年まで雑誌『POPEYE』、『BRUTUS』で現代美術や建築、デザイン、都市生活などに関する記事を担当し、同誌上で自分でも執筆活動を始める。89年から92年にかけては1980年代の現代世界美術の流れを網羅した全102巻の現代美術全集『ArT RANDOM』を刊行する。1996年には5年間にわたって雑誌『週刊SPA!』に連載された、日本各地の奇妙な名所を巡る「珍日本紀行」の総集編『ROADSIDE JAPAN』を発表して第23回木村伊兵衛賞を受賞した。1997年から2001年にかけて、権威的な所謂「業界」が注目しない、プロフェッショナルでない人々によるデザインを撮影した写真集『STREET DESIGN File』全20巻を刊行する。2001年に『TOKYO STYLE』の続編シリーズとして関西の都市部にまで手を広げた『賃貸宇宙』を発表する。2010年には自身の創作の回顧展「HEAVEN――社会の窓から見たニッポン」を開催した。このように都築は日本や世界の辺境に目を向け、撮影、執筆を続けてきた(“ROADSIDERS' Weekly”, <https://roadsiders.com/biography/>)。都築のこうした経歴を見てみると、「トウキョウ・スタイル」と銘打ち、消費の中心地・金融都市としての東京ではなくてそのような都市の中心的な機能から離れた雑然とした部屋の生活の風景を撮影したのにも頷ける。
 写真集は全体で383ページあり、「美は乱調にあり」「かわいさというたからもの」「アトリエに布団を敷いて」「安いのは和風」「モノにくるまって」「子供の王国」「住まいの必要十分条件」「街のなかに隠れる」と章が分かれている。各章の最初のページにはその章のコンセプトを説明した文章が付されている。その後ろに題に沿った写真が見開きに1枚から数枚言葉による説明と共に載っている。写真集のサイズは26cm×26cmと大きいので、部屋のこまごまとしたものまでよく見ることができる。現代のモノに溢れる部屋を細部まで描こうとするのなら絵画では到底できないであろう。
都築は『TOKYO STYLE』の冒頭で「1992年、東京で」と題して次のように言っている。

 「和風」の伝統美を極める写真集、クールな現代建築を逐一カバーする大判の作品集、スタイリストがきれいにまとめたインテリア・デコレーション雑誌、飽きるほどたくさんの「日本の空間」を扱った。印刷物が本屋に並んでいる。でも、どれからも、そこに実際に暮らす人間たちの気配は感じられない。なぜならそれは、人間の生きる場所としての空間の記録ではなくて、建築家なり写真かなりの作品、あるいは商品の巧妙なプレゼンテーションにすぎないからだ。さらに言えば、そんな写真のように住んでいる人間がまずいないからだ。
 豪華な写真集や分厚い雑誌に出てくるようなインテリアに、いったい僕らのうちの何人が暮らしているのだろう。でも小さい部屋にごちゃごちゃと、気持ち良く暮らしている人間ならたくさん知っている。そして「スタイル」という言葉を使うとき、それはたくさん、どこにでもあるから「スタイル」と言えるのであって、自分のまわりにひとつも見つからないようなものを「スタイル」と呼ぶことはできない。マスコミが垂れ流す美しき日本空間のイメージで、なにも知らない外国人を騙すのはもうやめにしよう。僕らが実際に住み、生活する本当の「トウキョウ・スタイル」とはこんなものだと見せたくて、僕はこの本を作った。狭いと憐れむのもいい、乱雑だと哂うのもいい。だけどこれが現実だ。そしてこの現実は僕らにとって、はたから思うほど不快なものでもない。コタツの上にみかんとリモコンがあって、座布団の横には本が積んであって、ティッシュを丸めて放り投げて届く距離に屑カゴがあって…そんな「コックピット」感覚の居心地良さを、僕らは愛している。
 世界はこれからますます不景気になり、多くの人々が経済的な余裕を失っていくだろう。狭い空間で気持ち良く暮らす術は、意外に未来的だったりするのかもしれない。(都築, 1993: 21)

 「僕らが実際に住み、生活する本当の『トウキョウ・スタイル』」を記録する自身を都築はジャーナリストと評する。小説家の岡崎祥久との対談で「家賃10万円以下の部屋は全部面白い。なぜなら収納がないから。収納ないってことはそいつの姿が全部分かっちゃう。収納っていうのは、自分のプライバシーを隠す装置でしょ。(中略)狭い部屋は、そいつの個性が全部出てるから見れば分かる。だから、最初からコンセプトを決めて行っても、どうしようもない。それにコンセプトを決めて行くってことは、東京の狭い部屋という素材を使って僕の作品を作るってことになってしまう。でも、僕はアーティストだと思ってないからそういうことには一切興味がない。僕はジャーナリストです。だからこれは報道。(中略)僕は、自分がこの部屋をどう撮ってるかということは表現したくない。何が写ってるかを見てくれっていうのが僕の写真です。」(都築, 2002: 57)と言っている。
 つまり、都築は東京に住むさまざまな個人の部屋の写真を撮ることによって、マスメディアで表現される東京という幻想の欺瞞を暴き、また「16号線的風景」で均一化されてしまった都市から、東京で構築される生活スタイルという個性を風景として写実的に描き出している。都市を語る際に人口と人々を一括りにしてしまうが、そこには多くの個人が住んでおり、それぞれの生活を営んでいる。それらの個性を描くということは都市の性格を表しているだろう。
 写真に写るあらゆる個人のあらゆる狭い部屋はあらゆる用途のあらゆるデザインのあらゆるモノで溢れている。そしてそれらは「16号線的風景」の均一化と対比され、あらゆる個性を表現する。都市の「16号線的風景」は全国展開する巨大資本の存在によって成り立っていた。では、東京の個人の部屋のモノよって表される個性は「16号線的風景」から本当に逃れられているのだろうか。
 ジャン・ボードリヤールは消費行動について「消費者は自分で自由に望みかつ選んだつもりで他人と異なる行動をするが、この行動が差異化の強制やある種のコードへの服従だとは思ってもいない。他人との違いを強調することは、同時に差異の全秩序を打ち立てることになるが、この秩序こそはそもそもの初めから社会全体のなせるわざであって、いやおうなく個人を越えてしまうのである。各個人は差異の秩序のなかでポイントを稼ぎ、秩序そのものを再生産し、したがってこの秩序の中では常に相対的にしか記録されない定めになっている。」(ボードリヤール, 1995: 68)と言っている。
 差異化の消費行動は初めから社会に組み込まれたシステムである。都市という性格上資本主義経済からは逃れられないため「16号線的風景」は個人の部屋へも侵入してきていると言える。この点で都築響一の『TOKYO STYLE』という写真集は「人間の生きる場所としての空間の記録」が「商品の巧妙なプレゼンテーション」に絡めとられる様を写真家の意図から離れて活写してしまっているのではないだろうか。雑然とした部屋の生活の風景は初めから都市に組み込まれた生活スタイルであるため、差異化の消費行動によって生まれる部屋の中の生活における都市風景は「16号線的風景」の延長線にある。『TOKYO STYLE』も都築が批判するインテリア雑誌や通販カタログのように差異化の消費社会の中で秩序を再生産する消費を喚起しかねない。そこには差異化の消費が秩序の社会が写っており、東京という固有の都市の個性を写しているようで個性は写りこめていない。都築響一の『TOYKO STYLE』は、部屋の風景までもが「16号線的風景」に取り込まれて東京という都市固有の風景が消滅したことを表現する都市写真集となっている。

一次資料
都築響一(1993)『TOKYO STYLE』京都書院.

参考・引用文献
都築響一(2017)「ヘタうま――アートと初期衝動――」,NHK「ニッポン戦後サブカルチャー史」制作班編『NHK ニッポン戦後サブカルチャー史 深掘り進化論』pp. 145-174,NHK出版.
都築響一・岡崎祥久(2002)「東京スタイル 部屋からの眺め」,メディア・デザイン研究所編『10+1 Ten Plus One』 29,pp. 54-72,INAX出版
ボードリヤール,ジャン(1995)『消費社会の神話と構造〈普及版〉』(今村仁司・塚原史訳)紀伊国屋書店.
宮台真司(2014)『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』幻冬舎.
山岸健・若井康彦(2014)「都市」,平凡社編『世界大百科事典』“JapanKnowledge”,<https://japanknowledge-com.stri.toyo.ac.jp>(参照 2022-11-16).
「ROADSIDERSとは」“ROADSIDERS' Weekly”,<https://roadsiders.com/biography>(参照2022-11-14).

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