「知らぬが仏」それでも知るべきか:tieto lisää tuskaa

tieto lisää tuskaa: ignorance is bliss (直訳は、knowledge adds pain)
ignorance is bliss: Lack of knowledge results in happiness; it is more comfortable not to know certain things (wikipediaより)知らぬが仏
知らぬが仏:事実を知らないが故に心を乱されず仏のようにいられるの意。知らないほうが気楽で幸せであるの意。(wikitionaryより)
*equality of opportunity: 機会均等。全ての機会は出自等に関係なくすべての人間に均等に与えられるべきとする考え方のこと。(こちらやウィキペディア等を参考に中の人がかなりざっくり訳しました。異論は認めます。)

2月17日

フィンランドのバレンタインデーはカップルのためというよりは友達同士で友情を確認するための日だ。独り身かつ今後しばらくロマンスの来る気配なし、かつ日本人女子の私は、義理や本命のチョコを作る必要もなくカップル持ちのやつらにやきもちをやくこともなく非常に穏やかなバレンタインデーを過ごすことができた。

で、そのバレンタインの日に、長いことあっていなかった修士課程の友人と連絡を取った。元気にしているか気になったことと、何となくその人と話したいなあと思ったからだ。メッセージを送ってからほどなくして彼女からOKの返事が来た。彼女とこの日にランチを共にすることになった。

実にいろいろな話をした。フィンランド語学習の話から、フィンランドの動物園にいるパンダが死ぬほどかわいい話から、世の不平等さについてまで。

このパンダ表情豊かでしょう、と友人に話したけれど、賛同は得られなかった。

話の流れで、友人が漁師とビジネスマンのたとえ話が話題について教えてくれた。一度、以下のnoteに目を通してから、読み進めてほしい。(下記noteの中間くらいに件のたとえ話が書かれています)

さてこのお話、いかようにも解釈できるけれど、一般的な解釈は上記のnoteと同様ではないか。社会的に成功を収めることが、果たして幸福と呼べるのか。

一方で友人は(一般的な解釈も踏まえたうえで)別の解釈をしていた。

この話の漁師は、文脈から察するに、漁師の生活、世界、価値観しか知らない。もしこの漁師がMBAを修め、漁師として生きる以外の価値観や世界を知ったとき、それでもなお漁師は漁師として生活することを選ぶだろうか。漁師として生活し得られうる幸福を、MBAを修めてもなお幸福と思えるだろうか。

様々な価値観の中から漁師として生きる幸福を選び取る(ことができるという)ことと、漁師として生きる幸福しかしらない(あるいは選ぶことができない)ということでは、幸せの意味合いが異なるのではないか。前者の場合は出自も家庭的背景も問われず、ただ自らの意思にのみ基づいて選び取った幸福で、後者は他のよりよい選択肢の可能性にも関わらず、漁師として生きる幸福をある種、幸福と思いこまざるを得ないんじゃないかというのだ。

また友人はビジネスマンの視点からもこの例え話について言及していた。

ビジネスマンはMBAを修める中で、恐らく漁師として生活する以上に様々な価値観に触れることとなった。それが果たして彼に幸福をもたらしたのか。漁師として生きる以外の、「幸福」と定義づけられる様々なものーーー例えばビジネスで成功するとかーーーを知ってしまった彼は、もうそれを知らなかった頃には戻れない。だから幸福に対してどん欲になってしまう、追求してしまう。漁師として生きる幸福のような、ある種足るを知る者は富む的な幸福をもう感じられなくなってしまったのではないか。

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友人の一連の解釈を聞いていて、この数日前に家族と少し議論になったことについて思い出した。日本において、例えばフィンランドと比べた際に、家庭の経済事情が子どもの教育(的、文化的)機会の量や質を左右するかもしれないということについて。

例えばフィンランドの高等教育制度について。フィンランドでは日本のように塾や予備校に多額に投資しなくても、高額な学費を払わずとも、大学に進学することができる。政府から生活資金も最低限支給される。ひとり親貧困世帯出身の子ども(女性)が大学進学し、首相になることも可能だ。出自や家庭の経済事情や性別によって教育機会が制限されることはない。教育における機会均等を追求している。*(ただし移民出身の子どもたちの教育に関してはこの限りではない。親や子のフィンランド語力が教育の質を左右しがちであるという。)

日本はますます新自由主義に舵を切りつつあるのか(新自由主義をざっくりざっくり説明すると、社会保障の縮小や大幅な規制緩和等をにより自由競争を重んじる考え方のこと。とても短略的に示すならば自己責任を当たり前とする考え方のこと。詳しくはこちらより)我が国の文科省大臣は「自分の身の丈に合わせて(勉強を)頑張って」と言い放った。ある日本の医科大学は性差別的な入試選抜を行っていた。大学の学費を稼ぐために在学中にアルバイトを週5でやらなくてはいけない、あるいはそれが難しいから大学進学できない。

大学進学することが人生の全てだといいたいわけではない。私はただ、出自に左右されず様々な選択肢を享受できる環境で「大学にいかない自由を選んだ」のと、家庭の経済状況や性別という自分ではどうしようもないことで「大学に行けなかった」では意味合いが異なるといいたかったのだ。後者の立場の人たちに、「貧しくても工夫次第で勉強できる」「足るを知る者は富む」「性差別に負けずに頑張っている人もいる」、要するに(生まれ持ったものが原因の)不利な状況も生き抜くのは心の持ちよう、と言ってしまうことの残酷さについて問いたかったのだ。生まれながらにして不利な状況にいる人々が、そうでない人以上に自己の努力や工夫や心の持ちようを常に求められるという不平等さについて、疑問を呈したかったのだ。

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などと説いている私自身も、「生まれもった不利な状況も努力次第で何とかなる」とほざいていた張本人であった。学部三年から四年にかけての一年間、フィンランドで交換留学をするまでは。

私は知ってしまったのだ。フィンランドの学生たちが、自身の進路が定まるまで(無期限ではないものの)在学を延長し続け、かつ生活費も支給されるということを。また、教育の機会均等を追求しているフィンランドにおいても、財政難でEU外からの学位取得を目的とした留学生から学費(年額およそ10000ユーロ)を徴収することになってしまったということも。

ヨーロッパの交換留学生たちは毎日パーティ三昧でもEUから生活費が支給されるのに、日本の交換留学生は綿密な留学計画と授業を受講する以外の特別な課外活動をしていなければ(あるいは、もってしても)奨学金を得ることすらできないということも。(もちろん、ヨーロッパの学生みんながみんな飲んだくれじゃないし、私のように日本から来た親のすねかじり系底辺クズ交換留学生もいる)

私は日本人だから、日本で学生をしているから、既定の年数で日本の大学を卒業しなければならない。「進路が定まらないから」というだけで在学延長のための学費なんか親が払ってくれるわけがない。そして、私は日本国籍を持っているから、ただそれだけの理由で3年目以降は学費が発生するから、フィンランドの修士課程を2年で修了しなければいけない。私だってできることならもう少し学生としてフィンランドにいて、フィンランド語をもっと極めてみたかった。もっとペースダウンして勉強したかった。焦って2年で修士を終わらせるなんてしたくなかった、本当は。

私の今の状況も両手にありあまるほどの機会に恵まれていることは十分承知の上だ。それでも、国籍という自分ではどうしようもないことで他の人より不利益を被らなきゃいけない経験をした私は、もう簡単に「不利益な状況も心の持ちようで何とかなる」なんて言えなくなってしまった。

と同時に、世の中は不公平だと身をもって知ることになった。世の中は不公平だ、どうして日本人だから、かつ女性だから、そして若いから、それだけの理由で、こんな思いしなきゃいけないの?交換留学を終えて帰国後周囲の友人知人や家族に世の中の不公平さをどれだけ説いても、みんなの表情は「?」という感じだった。私のことを宇宙人を見るように眺める人もいた。

私は変わってしまったのだ。隣の芝生は青いだけかもしれないけれど、私(たち、日本人)よりも恵まれた環境で勉強できている人たちを目の当たりにしてしまったから。そしてその恵まれた環境を、生まれ持ったものそれだけのせいで享受できないということを知ってしまったから。そんなこと知る由もない私の周囲の日本人は、恵まれない厳しい環境でも幸福でいられるのだ。彼ら(の全てではないけれど、その多く)は、日本の中のことしか知らないのだから。

私は世の不平等さを呪うことしかできなかった。誰にも言えない、わかってもらえない、世の不平等さについて、一人で悶々とするしかできなかった。「フィンランドで得た知識を生かして、日本の不平等さを何とかしたらいいじゃない」という人もいた。私もそう思ったから、貧困世帯の子どもたちの学習支援に携わったこともあった。だけど、私の性格が災いして、その支援中私はずっと苦しかった。子ども(のおかれた背景)に共感というか、感情移入しすぎて苦しくなってしまったのだ。

今でこそこの結論を出すこと自体が短略的だとわかっているけれど、それでも当時の私はこう思って絶望したものだ「私は何にもできない」。他にもこの気持ちを共有できる人がいたらここまで短略的な結論をだすことはなかったのかもしれない。だけど、「世の中は不平等だ」けど「それに対して今の私は何もできないし、どうしたらいいかわからない」なんて、当時の状況で、いったい誰がわかってくれたというのか。交換留学を同時期にした仲間たちにもわかってもらえず、親にも変な目で見られていた、当時のあの状況で。(今でこそ親は私の良き理解者の一人ではあるものの。)

「私は留学するべきだったのだろうか」そう何度も自分に問うた。留学が自分の視野を広げてくれたのは間違いない。けれどそれによって、私(たち)がいかに不遇であるか思い知らされることとなった。知らなければ「なんやかんやいっても私(たち)って恵まれているよね」と思い過ごせたのかもしれないのに。何もしらなければ、憤りも絶望も混乱も迷いも、感じずに済んだかもしれないのに。

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自身が生得的なことで不利益を被る立場になって初めて、他の人もまた、自分ではどうしようもないことで不利益を被りうるということにようやく気づいた。経済的な事情や家庭環境により(詳細は伏せるが)高校進学すら難しい子どもたちに、交換留学後の貧困世帯の子どもの支援を通して気づくこととなった。

「恵まれていない」と思っていた私も「恵まれていた」のだ。四大卒の両親、 教育に理解があって、 お金に不自由することなく、 家計を支えるために10代のうちからバイトする必要もなく、 「勉強なんて金にならないからするな」なんて毎日親に怒鳴られたこともなく、 「修士号なんか金にならないから」と家族から冷たい視線を浴びることもなく、 高利子大学の奨学金返済のために無理なバイトをする必要もなかった。

私はやりたいことをやりたいだけやらせてもらえた。 努力したいことを努力したいだけさせてもらえた。 私の努力のおかげで叶えられたと思っていることも、それは私の親が努力できる環境を整えてくれたから、努力「させていただけた」からだったんだと気づいた。

学部時代のとある授業で、教授が「親の学歴と子の学歴の相関関係は親の収入と子の学歴の疑似相関だ」 なんてことも言っていた。 大学に行くことが人生の全てでは決してないということは改めて強調するが、 私たちはある意味生まれたときから将来を決定づけられていたのだ。

もし私が経済的に苦しい家庭で育っていたなら。親に、「金にならないことはするな」 と言われて、勉強時間や文化的素養を高める機会(音楽鑑賞や読書など)の一切を奪われていたら。

私は今頃ぐれてめちゃくちゃになっていたと思う。 私は私自身がそこまで粘り強く、 周囲の応援なしではまっすぐに生きられないことを、 細くて弱い自己しか携えてないことを、 よく知っている。

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翻って家族とのプチ議論についてであるが、「貧乏でいることが教育の機会を狭める」という私の主張に対して、家族は「貧乏でも工夫次第で勉強できる、足るを知る者は富む」と反論してきた。「貧困世帯の子どもたちが自分ではどうしようもない家庭の状況で、常に工夫することを求められるのは不平等」と私はさらに反論した。察するに世の中的には私の家族のような主張の人の方が多いのかもしれない。(家族は最終的に私の主張を理解してくれていた)

…という一連の話を、友人はしっかり聞いてくれた。私は最近延々話しがちであまりよくないのだが、その友人もどうも私と似たような葛藤を抱いているらしく、様々な点で共感してくれた。

「ビジネスマンが自分の定義の幸福(利益を拡大して社会的成功を収める)を漁師に押し付けるのもどうかと思うよね。開発途上国や先住民等の支援を、西洋思想や文化を押し付けることとはき違えているみたいな感じじゃん」という私の意見に対して、友人は「その議論は一年前の必修の授業でやったよ」とのこと。思い出した、そういえばそうだった。確か、international education policy とかいう、SDG4について主に学ぶ授業で、それに関する論文を読んだのだ(私は学んだことを忘れがちなので良くない)。

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交換留学から数年後、交換留学時代に抱いた疑問について理解してくれる友人に出会えてよかった。そう思いながらこのnoteを書き進めていた途中で、交換留学時代に知り合ったフィン人友人と、まさしくこの「視野が広がったことは果たしていいことだったのか」ということについて話したことを思い出した(たしかその時も私が一方的に話していた。ごめん友達たち)。

そのフィン人友人もまた、私の一連の主張を最後までしっかり聞いてくれた。そして、私にこういったのだった。「Tieto tuo (lisää) tuskaaって、聞いたことある?まりのの言う通りで、知識は痛みをもたらすこともあるんだ」

そのフィン人友人がそのあとどう主張を続けたか、はっきりとは覚えていない。でも確かこのようなことを言っていた気がする。「それでも学ばなければならない。学ばなければ、自分が本来享受できる選択肢すら、知ることはできないから」

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知らぬが仏だったのかもしれない。それでも、知ることができる今の状況に感謝したい。知識は痛みをもたらしたかもしれない。だけどその痛みがなければ、私は自分とは異なる立場の人々について知りたい、わかりたい、力になりたいと思うことすらなかった。私はこの痛みがあったから、以前よりほんの僅かに少しだけ、他人に優しくなれたのかもしれない。



そんな、皆様からサポートをいただけるような文章は一つも書いておりませんでして…