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悲しいフィンランド語の教科書

Aikuislukioというところに通って、フィンランド語の勉強をしている。

Aikuislukioは、英語でGeneral Upper Secondary School for Adultsと訳される。移民であること等が理由で高卒資格がない大人が通うことのできる高校だ。

フィンランドでよくお世話になっているある方が日本語で'オトナ高校'(Aikuisがオトナ(aikuinen)、lukioが高校を指すので)と呼んでらしたので、ここでも日本語の通称をオトナ高校としたい。

そんなAikuislukio...オトナ高校で、CEFRのA2-B1レベル(初中級程度)のフィンランド語の授業を科目等履修生のような形で履修している。授業は週2日、一回1時間半程度。1学年間あたり95ユーロ払えば、フィンランド語の授業だけでなく歴史や数学等の授業も(おそらくフィンランド語で)履修し放題、という仕組み。

私の通っているフィンランド語の授業の受講者は、外国人(フィン人じゃない人)がほとんどだ。フィンランド語のレベルも(A2-B1レベルと銘打ってはいるものの)受講者の間にばらつきがあるなと感じる。受講者の中には英語をほとんど話せない人もどうやらいるようで、たまに英語も使われるが基本的に先生も生徒もフィンランド語で話す。

受講者の境遇も様々だ。働いている人、フィン人と結婚して移住してきた人、学生等々。だけど私のように、英語の修士課程に在学している学生はたぶんいない。みんな恐らく必要に迫られてフィンランド語を勉強している。私のように趣味で楽しくやっている人は少ないと思う。

Aikuislukioのフィン語の授業のいいところの一つは、受講者に学生がほとんどいないことだ。だから会話練習等の時に、必然的に他の受講生から学生生活以外に関する重要な語彙を学ぶことができる。特に職業生活に関することは、大学のフィンランド語の授業ではかなり上級レベルにならないと勉強できない。それに大学では受講者が自分と似たような境遇の学生たちなので、授業中に使うフィンランド語の語彙も限られてくる。

従ってAikuislukioは、今学年のフィン語学習における自身のテーマの一つ「自分以外のことも表現・説明できるようになる」を達成するのに最適な学習環境なのだ。

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さて、私が受講しているAikuislukioの授業では、Hyvin Menee 2という教科書を使っている。今その教科書を使ってフィンランド語の仮定法(『もし○○だったら、××だったのに』)について学んでいるのだが、その本文が悲しすぎるのだ。


教科書本文の主人公・Paavoは45年働いていた仕事を退職。そのわずか3か月後には交通事故で自身の妻を亡くしてしまう。その後…

Paavo masentui ja tunsi itsensä täysin tarpeettomaksi.(Paavoは精神的にひどく落ち込み、自分が無意味な存在に感じられるようになった。)

友人と話すなどして悲しみを癒したというが、Paavoは定年後に妻を亡くしこんなことも感じていたという。

'Kyllä mä kuitenkin joka päivä vieläkin mietin, mitä tekisin, jos Anita vielä eläisi. (...) Aina ajattelen, että eläkkäälellä sitten matkustettais ja hoidettais puutarha. Nyt mä vaan katson yksin telkkaria. '(「いや、それでも毎日、Anita(妻の名前)が生きていたらどんなことをしていたんだろうって考えてしまう。(中略)いつも、退職したら一緒に旅行に行ったり、庭の木々を世話するはずだったんだと思っている。今はただ一人でテレビを見ているだけだ。」)

悲しすぎる。最後のテレビを一人で観ているだけ、というところが特に悲しすぎる。


これが教科書の本文の一部なのである。仮定法を理解する上ではとてもいいコンテクストなのだろうが、悲しいしなんだかドラマチックすぎる。せっかく学んだ仮定法、できるのであればもう少し楽しい状況で使いたい。

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そう、例えばこんな時。Hyvin Menee 2、悲しいことばかりを扱っているのではもちろんない。この章のアクティビティは「もし自分が○○だったら...」を仮定法を使って話すというものだった。その質問の一つ、「もし自分が有名になったら何をするか」の私の答えはこれ。

Jos olisin kuuluisa, perustaisin säätiön.(もし私が有名だったら、財団を設立するだろう。)

Perustaa は「設立する」という意味の動詞。有名になったりお金持ちになったら財団を設立していろんな人を救うというのが、私の数年前からの密かな夢(というか、野望というか)だ。

一緒にグループワークをしたクラスメートの答えはこれ。

Jos olisin kuuluisa, haluaisin olla roolimalli toisille. (もし私が有名だったら、みんなのロールモデルになりたい。)

「有名になって財団を設立してみんなを救ったら、きっとみんなのロールモデルになれるね」と、この日のグループワークは盛り上がった。


せっかく学んだ仮定法、過ぎ去った日々を悔いるのに使いたくない。「こうしていたはずなのに」じゃなく「こうしてみたい」と言えたらいい。

仮定法で楽しい夢を見たい。

そんな、皆様からサポートをいただけるような文章は一つも書いておりませんでして…