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読書日記*『母性』と『宙ごはん』母性について

母親になるって誰にでもできることだろうか?
母親から生まれたわたしは、母性をたくさんもった母から愛を受け取っていただろうか。

考えたきっかけはミイコさん。

ご自身が『母性少なめ』と言われているが、「ミイコさんよりわたしのほうが!」と言いたくなって読んでみた『母性』湊かなえ(著)

対比するように「母性について」考えさせられた『宙ごはん』町田そのこ(著)

この2冊から母性について考えてみた。

***

『母性』を読んでまずもやもやしたのが、この小説に出てくる『父』たちはほとんどが嫌なやつだ。こっち(女たち)を見ていない。母や娘を庇おうとせず、自分の保身に入る男たち。
対して『宙ごはん』に出てくる男たちは、ほとんどがしっかり見て判断し、行動してるいい男ばかりだ。
わたしは考えた。「母性」はこうも語られるのに「父性」って存在するのか?そもそも父親は家族をなんだと思っているのか?昔ながらの「養ってやってる」意識なのか?だとしたら「母性」は子どもを育てるというだけの意識なのだろうかと。

「母性」はあとから構築されると書いてあるが、そもそも『愛能う限り、大切に育ててきた』なんて言葉が出ることが母性なのだとしたら、わたしは母性のかけらも持っていないかもしれない。だがこれでも子どもが危険な状態では、じぶんの命を無くしてでも生かしたいと思った過去がある。それが本能だとしたら、わたしには「母性」があるし、この本を読んで責められたような気分になるのは、ちがう。

時は流れる。流れるからこそ、母への思いも変化する。それでも愛を求めようとするのが娘であり、自分が求めたものを我が子に捧げたいと思う気持ちが、母性なのではないだろうか。

『母性』P349

一方で『宙ごはん』では、冷静に母性のことをこう言う娘たちがいる。

世の中で言うところの母性とか、親子の情とか、あのひとにはないんだよね。仮にあったとしても標準以下だよ。
(中略)
どうしたらいいんだろうって悩んだ夜は数知れず、だよ。でもね、あたしは悟ったんだ。『母親』を求めて接するから傷つくんだよね。『家族』だと思えばいいの
(中略)
絵本とか漫画、ドラマでもいいんだけど、お母さんってすごく特別に描かれているよね。包みこむようなやさしさとか、無償の愛とか、そういうの。
(中略)
少しの嫌とか失望は、あたしが勝手に『母親』に期待していただけのこと。ママは『家族』として、きちんと責任を負ってくれてるんだ

『宙ごはん』P135〜

『家族』ただの『家族』
父親も母親も、ただの『家族』
勝手に期待してるのはじぶん

わたしも、娘で母親だ。
そしてこの2冊の本の著者も、女。
男が「母性・父性について」なんて考えるかどうかはわからないが、母性とは女ならではの使命感なのかと、勝手にジャッジしてるじぶんに気がつく。

なんにしても生きている以上、母親は必ず存在して、もちろん父親も存在するのだけれど、そこをあまり重視していない女の生き方、考え方。そこに父親が要なのは、わたし自身が嫌というほど味わっており。
『宙ごはん』はそこに希望が見えた。受け止めて前を進むには、やはり父親(男)が必要なのでは、と。

だれか『父性』について書いてくれないかなあw
かっこいいお父さんの姿を、憧れとしていつも持ってるわたしは男嫌いである。いやもとい、人嫌いなんだけど、いま娘たちを見てると、男がこわいのは父親の愛を知らないからじゃないかなあと思ってしまうのだ。

話がそれた。母性について。
いろんな家族がいて母親がいて、その母親にも母がいて、そして、じぶんがいる。
それだけで、いいんじゃないかと、母の呪いなんてないとも思えて、救われた思いだった。

***

『宙ごはん』はとり子さんの記事を読んで読みたくなりました。
ありがとうございました。



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