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HSP*心の問題は自分にしか解決できないと知った日

しんどくてつらくてどうしようもない気分の時、わたしがとった方法をずっとnoteに書いてきましたが、これはわたしがラクになった方法であって「人はそれぞれ解決方法が違う」ということを目が覚めた思いで知りました。

目が覚めたのはこの漫画を読んだから。長い漫画ですが紹介させてください。

病気を知る。じぶんを知る。

主人公Sは、まずじぶんが病気であることを認めたくなかった。
認めて少しラクになったら、もっともっと楽になる方法を!と欲が出て薬の量が増えた。

苦しんだ。つらいけど、じぶんの気もちを見てみた。

きっかけはみんな違うんだから一概には言えないんだけど、生きることは「どれだけ自分のことを見ることができるか」なんじゃないかと思う。

環境や過去や他人は、じぶんの心には関係のないこと!

そう思うのはつらいし痛い。
じぶんは悪くないって思いたい!
でもほんとうは、じぶんが選んでいること。

こころの病気が起こす思い

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じぶんを卑下して、世界には必要のない人間だと決めつけて、でもそれは無能の証明をしたくなる病気のせいかもしれないけれど、ほんとうは自己防衛的なじぶんの選択なのかもしれなくて。

存在を認めてほしくてこころの病気になってしまう。
それはじぶんのこころの声を無視しているからなんだと思う。

つまりじぶんが自分の存在を認めていないから、こころの声は病気になって現れる。
「気がついて!どうして無視するの?」

脳とこころのプログラム

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成功してるじぶんをプログラムすることだってできるのに、ちょっと弱ったときに、弱い方のプログラムを採用してしまう。
そもそも成功という概念がわからないし、はっきりしない。

普通の人が普通に送っている生活がしたい。ただそれだけなのに、そもそも普通の生活がわからないから、普通のプログラムができなくて、そしてそれを言い訳にじぶんが選んだ鬱のプログラムを採用して生きている。

よく”うつ病はこころの風邪”とか言うけれど、風邪をこじらせたらもっとやっかいで。
それなのに
「わたしはただの風邪じゃないんです。
重い病気なんです。
助けてください。」
と、じぶんの回復への努力はおいたまま、薬や他人に頼ってしまう。

沼から這い出すのは、じぶんの力でしかない。
厳しいけれど、沼にいることを選んでいるのはじぶんなのだから。

じぶんをいじめないで

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じぶんのこころの声は、ほんとうに小声でしか本音を言わない
それは無意識がそうさせていると思っていて。

ほんとうにクセになってるから、その声を聞くのは、その人が「じぶんのこころの声はじぶんしか聞こえない」と知るしかなくて。

クセだからわたしもじぶんの声を聞かなくて、そして他人の言うことも素直に聞けなかった。
どんなに褒められても、じぶんを認められなかった。
「どうせわたしなんて」と思っていたら、じぶんがラク。
みんなに好かれるはずがないし、わたしはじぶんがやれることやるんだからと開き直りつつ、誰かの輪の中に入りたいのにできないじぶんを”できない”と決めつける。

でも同じ理由で同じ悩みを持ってる人には、境界線なんて忘れておんなじだよーつらいよねと、足の引っ張り合いのような、愚痴の言い合いのようなことをやってしまって、ひたすらじぶんじゃない声を採用する。

みんな何がラクなのか、何が楽しいのかが違うように、じぶんで解決するしかないんだ。

じぶんで沼から出てくるのを待つしかないんだ。と…そんなことをあらためて知ることができました。

こころのクセは治すのがたいへんだけど、ひとつだけ。

不安になったら「ありがとう」と言う。
悲しくなったら「ありがとう」と言う。

これをクセにしたら、わたし運気が上がりました。

言いたくないときだってあったけど、それこそ不安に気がついてこころの不安の声を聞く前に呪文として「ありがとう」とつぶやいてみる。
それをクセにしてみたら、できることも起こる事実も変わってきたかな。

最初はこんな記事↓も読めなくて困ったけど、みんな違うと思ったら映画を見るように小説を読むように、ただただその人を感じて「ありがとう」と言ってみることが、じぶんの声を聞くことにつながるよ。

EMIさんに感謝。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




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